アーカイブ 2009年3月

2009年 3月 21日

杉の葉エキス 実践編。

カテゴリー 杉の文化研究所

今日は、杉の葉エキスの実践編をご紹介したいと思います。^^
 
その前に・・・
 
この記事を読まれた後、やってみようと思われた方は、
前回記事の「杉の葉エキスの摂取と減感作療法との違い」、
およびそのコメント欄のQ&A(必須)と、
前々回の「杉花粉症の特効薬?!」の記事をお読みください。
(くれぐれも、花粉が付着していないことをご確認の上でお試しくださいね。)
 
それでは実践レポートです。^^
 
①杉の葉先、15センチくらいを採取し、約50グラムを水道の水で埃を流す程度にさっと一洗いする。
  
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今回は、袋の右にある杉の葉を使用しました。
樹齢15~16年ほどの若木で、この春新しくのびた葉先の部分です。
枝部分が緑色をしています。
この先端の15センチほどを採取しました。↓
 
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花粉は全くないことがお分かり頂けると思います。
 
今回煎じた量はこのくらいです。↓
 
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②ホーローびきの深い鍋に杉の葉を入れ、杉の葉がかくれるようにたっぷりの水で煮る。
 
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(最初は青々としています。煎じはじめたばかりの、お湯が緑茶くらいの色になったとき、思わず味見をしました。
 これがミントティーのようで、とても美味しいのです。^^ 効果はあまりないと思いますが・・・)
 
③一方、お湯を沸かしてポットに入れておく。
 
④鍋は煮立ったら火は中火にし、沸騰状態で四時間煎じる。
  葉が常にお湯に浸かっているように、ポットのお湯を注ぎたしながら煎じる。

 
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(ガスコンロで沸騰させたあとは、ストーブの上にヤカンをいっしょにかけました。
 かなり茶色になってきます。部屋中に杉の香りが漂い、まるで森林浴をしているような清涼感。^^)
 
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そろそろ煎じるのは終了か、といったところです。↑
 
⑤四時間沸騰させたら火から下し、杉の葉を除き、五~六枚重ねたガーゼで濾す。
⑥別に小鍋で砂糖のシロップを作っておく。
⑦⑤の煎汁のうち、二合くらいをシロップで適宜に味つけして再び煎じる。

 
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できあがり!

 
みなさん気になる効果ですが・・・
毎食後妻に、盃一杯程度(15~20ml)服用してもらいました。
「自然に医力あり」のように三日で直った、ということはありませんでした。
でも、鼻水はかなり減ったようです。目のかゆみは楽になった程度。
つくったものは、試飲も含め一週間程でなくなりました。
またつくってほしい、と言われたので早速本日、杉の葉を採取しに行きました。
 
九州では、杉花粉から檜花粉への変わり目のようです。
これからも進捗状況をご報告したいと思います。

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2009年 3月 18日

「もくたろ」創刊。

カテゴリー 杉の文化研究所

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遅ればせながら本日は、先週の3月12日に創刊された『もくたろ』のご紹介と、創刊までの裏話などを書いてみたいと思います。^^

 
まずは、『もくたろ』という誌名の由来を、編集長である入澤美時さんの文章より抜粋します。
 
「木の家」「木という素材」に特化した季刊誌『もくたろ』を創刊する。
この雑誌は、サブタイトルに「つくる木の家、直す木の家」とあるように、
すべてのこれから家を新築しようとする人、増改築しようとする人に向けて、
「100年住める、木の家を建てたい」とのメッセージを送りたい。
 誌名の『もくたろ』とは、「もく」まさに「木」のこと、そして「たろ」はフィンランド語で「家」を意味している。
つまり、「木の家」そのものを指している。

  
今年の初めに書いたブログにも少し紹介しましたが、
入澤さんは「陶磁郎」(とうじろう)という季刊誌を14年前に創刊し、「」と「」をテーマに文化へと迫りました。
そして成果の一つが、北川フラムさんらと取り組まれた
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。
今や越後妻有は、世界屈指のモダンアートの聖地となっています。
 
鑑定団で知られる中島誠之助氏は、
2006年冬に終刊となった「陶磁郎48号』対談記事の締めにこう語っています。
 
「まあ将来ね、古本屋の店頭で、『陶磁郎』の一号から四八号まで揃ったやつは、高価な値段で取り引きされるだろうと思うよ。私の本棚にも並んでるけど、それは一つの歴史でね。どこを取っても全部読める、新鮮だから。いまだに座右の書でもって、取ってあるよね。それには四八号くらいがちょうどいいな。一〇〇号では多すぎるなあ(笑)。」

  
入澤さんとはじめてお会いしたのは、一昨年の5月に遡ります。
筑波に安藤先生を訪ねた際、偶然にも田中文男棟梁と再会することがありました。
お会いしたのは筑波山麓「六所(ろくしょ)の家」。
六所という集落に残った廃墟のような最後の茅葺民家。
それが安藤先生と里山建築研究所により再生されたのでした。
家主は、東京銀座に仕事場を持つ編集者。
読書好きの都会人だが、渓流釣りの趣味も極める、入澤さんでありました。
   
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たまたまその日は、田中文男棟梁と「住宅建築」誌の平良編集長が視察と取材にお見えだったのでした。
詳しくは、「住宅建築」誌2008年3月号に特集されています。
このとき驚いたことがもう一つありました。
それは、私の座右の書である「現代棟梁 田中文男」(INAX出版)を編集されたのが、
その場にいらっしゃった入澤さんの奥様であったことです。
私がお付き合いさせていただいている方々は、田中文男棟梁にご縁の深い方ばかりだなぁ、
と感動し、感謝の気持ちで胸一杯になったのを覚えています。

 
それからしばらく経った昨年の9月中旬、安藤先生より一本の電話が入りました。
木の家をテーマに雑誌を創刊したいという友人がいる、話がしたい、と。
翌週、「住宅建築」誌400号記念パーティに出席するため上京を予定していた私は、
一日早く、筑波の「六所の家」にお伺いすることにしたのでした。

入澤さん、安藤先生とは、翌日まで話し込むことになりました。
そのとき聞いた雑誌のテーマは「」と「」。
ワクワクした気持で私は筑波を後にしたのです。
  
そして昨年の10月24日、
木挽棟梁が語る森林の向こう側」というミニシンポに向かう車中で、安藤先生より電話が入りました。
その後、珍しく声高の入澤さんと換わりました。
雑誌創刊が決まり、『もくたろ』という名前になったこと、
第一特集は「板倉の家」、第二特集が「筑後川」に決まったこと、などを聞かされます。
嬉しくてハイテンションとなった私は、勇み足で講演会場へと向かったのでした(笑)
  
(以下、筑後川特集の冒頭文より。文:安藤邦廣、佐々木香)
 
利根川、吉野川とともに
日本三大河川といわれる筑後川は、
阿蘇と九重の山々から流れ出し、
有明海に注ぐ流程143㎞の九州第一の大河である。
日田を中心とした上・中流域が
杉林一色に染まったのは大正時代からで、
「日田の底霧」と呼ばれるように温暖多雨の気候は、
スギだけでなくさまざまな産物を育んできた。
筑後川流域をさらに特徴づけているのは、
棚田と杉皮に被われた茅葺き民家の
懐かしくも美しい集落風景である。
ヨシ原やクリークを含めたこの豊饒な筑後川を、
食を通し、家づくりを通し、風景を通し、
多様な暮らしの姿を追って、
上流の津江地域から下って旅をした
。』
 

入澤さんは創刊にあたっての文章を、次のように締めています。
 
「私たちは、この列島に遥かなる祖先がたどりついてからの、
そして縄文時代からの、「木の遺伝子」を背負っている。
だからこそ、木に囲まれていると、心地よくなるのだ。
 林業というものが、たとえGDPの0.1%であろうと、
私たちがこの「生命記憶」と「木の遺伝子」を背負っているかぎり、なくなることはない。
そして、地域・地方再生の起爆剤たり得るのである。
 そのためには、「木の家」に「板倉の住まい」に、手で触れ、肌で感じ、匂いをかぐこと。
人にとっての根源性に、なじむこと。その根源性が、「擦過」を生む。
その根源性が、超え出ること、つまり未来の根源なのである。
 「木の家」「板倉の住まい」は、私たちにとってそこまでの大きな意味合いと可能性を、秘めている。」

 
みなさんに、『もくたろ』を手にとっていただきたいと願います。
そしてお気に召されましたら、これからも応援をよろしくお願いしたいと思います。

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2009年 3月 13日

杉の葉エキスの摂取と減感作療法との違い

カテゴリー 杉の文化研究所

先日ご紹介しました「杉花粉症の特効薬」についてこんなご質問をいただきました。

最近、杉の飴とかお茶が、自然食品店の花粉症対策コーナーにあります。
この本から着想を得てるのかもしれませんね。
煮出す杉の穂先は、今の時期だとたっぷり花粉がついてるでしょうね。
取りに行くのに、くしゃみ連発しそうです!

 
このようなご質問は、本当に有り難いものです。整理されると共に理解を深めてくれます。

じつを言いますと、私はすでに試作し、妻や子供に服用させ経過を観察しているところです。
(詳しくは、薬効に自信が持てた時、「実践編」としてご紹介いたします。)
杉エキスを採取する葉先は、樹齢15年ほどの木の、この春に新しくのびた部分を使用しました。
実物を見る方は少ないと思いますが、
煮出す杉の穂先には花粉がまったくありません。↓

 
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アレルギーの治療では、
微量のアレルゲンを長期にわたり注射で体内に入れながらアレルゲンに慣れさせる、
「減感作療法」という治療法があります。

 
今回の手法は、この減感作療法とは異なったものです。
 

「杉」なので誤解を招きやすいのですが、
今回の煎じ薬はあくまで杉の葉の中にあると思われる、
鼻炎・喘息・慢性気管支炎に効く成分を抽出するところに目的があります。
 

なお、杉花粉がついた葉を使用する場合は、くれぐれもご注意ください。
 

一昨年、杉花粉をカプセル充填した健康食品を摂取した女性が、
アナフィラキシー様ショック(全身性のアレルギー反応)で意識不明になり入院した
との健康被害があったようです。
そこで、厚労省もスギ花粉を含む食品に対し注意喚起↓をしています。

 
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/hokenkinou/sugikafun.html
 

このため、採取した杉の葉は、丁寧に水洗いして使用しました。
 

とはいいましても、「取りに行くのにくしゃみ連発」は避けられません(笑)
もし、つくってみたいという方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
私が使用したものと同じ杉の葉をお送りいたします。
薬効を確認したいので、あと2~3日お待ちくださいね。^^
 
(注)この記事のコメント欄に、補足する内容のQ&Aがあります。
   そちらのほうもぜひご覧ください。

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2009年 3月 12日

子孫に美林を残す。

今日は祖父の命日です。
以前ご紹介したおじいちゃんの木がある山へ行き、「老松」という日本酒をかけ祈りを捧げて参りました。
また本日は、企画に参加させていただいた「もくたろ」という雑誌の創刊日でもあります。
(木の家にスポットをあてた雑誌で、32頁に亘る「筑後川」特集をぜひご覧いただきたいと思います。)
せっかくのメモリアルな日ですから、「木挽棟梁の木を活かす知恵」というカテゴリーをつくり、
これまで講演などでお話ししてきたことなどを、文章化していこうと思います。

 
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1.子孫に美林を残す
 祖父は自他共に認める山好きな人でした。
幼少の頃の休日は、朝5時頃起床で山に連れて行かれました。
せっかくの休みなのに、早朝に起こされるので、友達と遊べません。
山に行く前の日は、億劫でたまりませんでした。
でもいざ着いてみると、木立に差込む光、冴え冴えとした空気。
鳥の鳴き声に虫の音。小川の水は冷たく甘い。
カサコソと野生動物の気配を感じては、猪、鹿、兎、雉と出会う。
昼飯が近くなれば小枝を探し、鉈でお箸を作り、母のにぎり飯を堪能。
結構楽しい思い出ばかりです。
山遊びがほとんどでしたが、少しは仕事にも貢献しました。
「よ~ぃっ!」と呼ばれると、声のする山師さんの下へ、
水筒や機械油を走って運んだものです。
 
祖父は60歳のころ(私が生まれた時期)から禿山を買い始めたと聞きます。
第二の人生として、そこに植林していくことをライフワークとしたようです。
山が道楽だったのでしょう。
仕事がなくても山に行っては、立木に尺を回し、
太ったな、伸びたな、と目を細め私にこう言いました。
  
「おまえが俺ん歳になりゃあ、こん木も、えらいもんになっちょるざい。」
 
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(朝倉市内にある所有林。50年前、自宅を建てる際に伐採し植林された杉山。
 祖父が若い頃初めて購入した山でもある。)

 
 祖父が「山好き」ならば、父は「木好き」と言えるかもしれません。
父は銘木と呼ばれるような大木を全国から買い集めてきました。
国鉄(当時)の貨物列車でやってきた、天竜や吉野の山からの巨木は雪が被っていました。
家と同じ敷地内にある土場(どば)には、私の背丈を凌ぐ直径をした丸太が並び、
大木がまるでピラミッドのように、うず高く所狭しと積んでありました。
自宅は木組と土壁の和風建築。
そこに使われた木材は、自分の山のスギの木を伐り用立てたといいます。
建てた翌年に植林しているので、その山の木の樹齢と家の年齢はほぼ同じです。
ちょっと古くなってきた家の木と、生き生きとした山の木は不思議な対比です。
まあこのように、どこにいても木に囲まれた幼少期を送りました。
 
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家業がある家の長男に生まれた人間は、継ぐかどうかプレッシャーを受けながら育つものです。
大学を出ると私は、継ごうとはせず印刷会社に就職し5年働きました。
でも木に囲まれた幼少期を送ったからでしょうか。
入社して4年目、印刷物の仕事だけにとどまらず、クライアントに木造建築を提案しました。
企画としての評価は受けたものの、建築まで請負うことはできません。
このころから、建築企画という仕事への思いが日に日に強くなりました。
経済学部出身の私は、生い立ちから縁のある木を武器に、
建築に関わってみたいと思うようになり決断します。
 
28歳のとき、父は継げと言いませんでしたが、会社を辞め跡を継ぎました。
とはいっても、当時は痩せていて体力もなく、木の知識もない。
工場の仕事はきついだけで、自分に向いていないと後悔ばかりしていました。
さらに製材業は斜陽産業です。
私の地域の製材所は最も多いころから5分の1に激減しています。
ビジョンが見いだせないまま、先の見えない不安に押し潰されそうでした。
最近になってようやく、そのころのことが笑って話せます。
それでも、「子孫に美林を残せるか」と聞かれたら… 
 
なかなか肯定的な返事をすることはできません。
山を維持するには、長い年月の管理が必要ですし
経済的にも時間的にも、私の代でさえ難しいと感じているからです。
それでも私は、祖父を真似てみたいと思うようになりました。
木に目を細めた祖父の眼差しを忘れたくないのです。
  
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・40年前の祖父と私

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2009年 3月 05日

杉花粉症の特効薬?!

カテゴリー 杉の文化研究所

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このところ、杉に関する書籍・古書を購入しています。
今日は、「自然に医力あり」(槇佐知子著・1997年初版)より、
杉花粉症の薬を自分でつくれるという興味深い文章を要約してご紹介したいと思います。
 

その前に、みなさん「医心方」という医学全書をご存知でしょうか?
「医心方」というのは、鍼博士の丹波康頼が、今から千年以上前の永観二年(984年)、
中国の二百三の文献から選集した医学全書。国宝に指定され、
世界的文化財といわれながら現代語訳がなく「幻の名著」とされる。
その「医心方」を全訳し出版されている方がこの本の著者なのです。
 

(以下、杉花粉特効薬に関する部分のみ要約にて引用)
 

杉花粉症の特効薬発見には、著者の息子さんの花粉症がきっかけとなる。
古今の文献を調べていると、現代中国の臨床実験報告の中に、
スギは喘息・慢性気管支炎・鼻炎の薬としての効能があると知る。
ところが中国でのスギとは紅葉杉(こうようざん)であり、日本の「杉」ではない。
とはいえ、息子の花粉症は日本の杉花粉が原因なのだから、と試してみることにした。
文献に作り方など詳細は書かれていないが、以下の要領でつくる。
 
①杉の葉先、15センチくらいを採取し、約50グラムを水道の水で埃を流す程度にさっと一洗いする。
②ホーローびきの深い鍋に杉の葉を入れ、杉の葉がかくれるようにたっぷりの水で煮る。
③一方、お湯を沸かしてポットに入れておく。
④鍋は煮立ったら火は中火にし、沸騰状態で四時間煎じる。
  葉が常にお湯に浸かっているように、ポットのお湯を注ぎたしながら煎じる。
⑤四時間沸騰させたら火から下し、杉の葉を除き、五~六枚重ねたガーゼで濾す。
⑥別に小鍋で砂糖のシロップを作っておく。
⑦⑤の煎汁のうち、二合くらいをシロップで適宜に味つけして再び煎じる。

 
 
味見をしていたら、何だか鼻孔がすうっと開いたような気がした。
それまで自覚しなかったが、私も鼻づまり気味だったのだろう。
息子に試してみると、
「きれいな色だね。飲んでみるよ。」
そして「いけるね。おいしかった。」
それから三日間、食後の服用を続けると、鼻の下の爛れもすっかり治る。
その時は、花粉症も終わる頃だったのでは、と思ったが、翌年も、その翌々年も再発しない。
その翌年は再発するも一回服用しただけでまた治った。
 
 
何年か前に杉の葉エキスのことを発表した時は、
「東京新聞」生活部の安井禮子記者が取材に来て一緒にエキスを作ったあと、
原料の葉を持ち帰り、自宅で再現してお嬢さんの鼻炎で試してから記事にした。
「追跡」というTV番組の取材もあって、花粉学会でも話題となった。
 
 
煎汁は、疥癬や湿疹といった皮膚病、関節痛や挫傷にも効くとされる。
何よりも香りが良いので私は入浴剤代りに煎じて茶色になった葉も、
洗濯用のネットに入れ、煎汁と一緒に風呂に入れる。
すると新湯でもなめらかで刺激がなく、森林浴と入浴が一緒にできるのがうれしい。
 
 
最近、開業医の方から
「漆器の職人さんは、跡継ぎにする子供が生まれると、
赤ちゃんのころから少しずつ漆を与えて、かぶれないよう抵抗力をつけるという。
杉花粉症に杉の葉エキスを服用するのも、理に叶っていると思う。製法と服用法を教えてほしい」
とお手紙をいただいた。
 
 
(要約引用 終わり)
 
 
このあとは・・・
身の回りは、台所用品も家庭用品はなにもかも杉ばかり。
産湯のたらいに始まり、手桶、ひしゃく、釜や鍋蓋、おひつ。
漬物樽、味噌・醬油樽、酒樽、酒枡、洗い桶、洗濯板、しゃもじ、お箸。
と口をつけるものも身につけるものも、杉を使っていたという回想がつづきます。
その後、堂々とした杉の文化論が述べられます。
 
 
花粉症をなくすために「杉を伐採して他の木を植えよう」という意見もあるが、とんでもないことである。
 
 
「杉が立ち枯れるのは凶事の起こる前兆」という言い伝えがある。
杉を花粉症の元凶と見るのではなく、杉と共存する方法を考えるべきではないだろうか。

 
 
ちなみに、
著者の「槇佐知子」とはペンネームで、本名は「杉山多加子」だとWikipediaで知りました。
私もそうですが、姓に「杉」がありますね(笑) 著者の杉に対する思いは相当なものだと思います。
 
 
最後に・・・
(なお、口当たりがいいので飲みすぎないよう、食後に盃一杯程度に留めていただいたい。)
とあります。ご注意を!^^

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