2009年
5月
29日
昨日、地元の小学2年生が工場見学に来てくれました。
写真は何をしているところだと思いますか?(答えは下に)
毎年この時期になると、2年生や3年生が見学に来てくれます。
おかげさまでこちらも大分慣れてきました。質問は大体こんな感じ・・・^^
1. どんな品物をつくっているのですか?
2. いつから製材所をやっているのですか?
3. 木はどこからやってくるのですか?
4. 木はどこに行くのですか?
5. どうして久喜宮(くぐみや)には、製材所が多いのですか?
6. ここにはどれくらいの木がありますか?
小さいと侮ってはいけません。みな本質を突く良い質問をしてきますよ~^^
「山に生えている木はどんな形をしてますか~?」
「まる~!!」
「そうだね。じゃこの家に使っている木はどんな形してる?」
「しかく~!!」
「そうだね。どこで丸が四角になってると思う?」
だいたいこれで1番はOK。
次2番。
「はい。このお山の写真を見てくださ~い。
これはおじさんとこのお山だよ。ここには55歳の木が生えています。
今から55年前にこの山の木を伐って、この家を建てたんだよ。
そのとき植えたのがもうこんなに大きくなっています。
おじさんのおじいちゃんが、このお家を建てたときに
ここで製材所を始めたんだよ。」
そして3番。
「木はどこからやってくるのか、もう知ってるでしょ~?」
「は~い!おやま~。」
「そうだね。じゃぁ、どうやってやってくると思う?」
「トラック~?」
「そう、そのとおり!でも昔はそうじゃなかったんだよ。
木は水に浮くと思う人手を上げて?じゃぁ沈むと思う人?
どっちが正しいかなぁ。はい、これを見て~!」
↑写真・・・「筑後川を道として 日田の木流し、筏流し」(竹島真理著/不知火書房)より
(この本のレビューをアマゾンに投稿しています。)
「おお~木が浮かんでるっ!!」
「そう。^^これはみんな知ってる筑後川の昔の写真だよ~」
「さきに5番の質問に答えるね。
昔はこうして木を、川に流して運んでいたので、
山に木がたくさん植わっている筑後川が流れるところには
自然と木がたくさん集まってきました。それで、
その木を使っていろんな物を作る仕事をしている人たちが多いんだよ。」
「へぇ~」
「これは何?」「つくえ~」「何で出来てる?」「き~」「そうだね。」
「じゃこれは?」「ほんだな~」「何で出来てる?」「き~」
「じゃこれは?」「まど~」「何で出来てる?」「き~」
「じゃ、、、、」
と手当たり次第に木ばかりの私の事務所を指さします。^^
そして4番。
これは、特集していただいている雑誌を中心に見てもらいます。
(それでも、ぜんぶで70ページほどあるので・・・^^)
最後6番。
「それじゃみんなで、これから工場を見に行こう!」
「はい、全部見てもらったけれど、何軒分くらいの木があると思う?」
「10軒くらいの人?じゃあ20軒の人?まだまだ30軒っていう人?
そんなことはない50軒はあるぞ、という人?いやいや100軒はる、という人」
「はい、だいたい今見てくれたもので50軒くらいの木がありま~す。」
「うわ~」
ってな感じで説明していくのです。
これが3年生になると、木と鉄を触らせて、木の特質を鉄と比較しながら
肌で感じてもらうことにしています。
詳細は、3年生が来てくれた時にでもアップすることにしますね。
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さてさて、最初の質問の答えですが、正解は「年輪を数えている。」でした。
数える前、その木がおおよそ何歳であるか、手を上げてもらった後に始めます。
「い~ち、に~、さ~ん、、、、^^」
子どもたちの事前予想では、
60歳が20%、70歳10%、80歳10%、100歳60%でしたが、
皆で最後まで数えると、124歳であることが判明しました。
2009年
5月
22日
川絵図(星野川との合流点付近、県立柳川古文書館所蔵より部分転写)
江戸時代 久留米有馬藩と柳川立花藩は水争いを避け、
少ない水を有効に活用する方法を編み出しました。
現在も行き続ける廻水路システムとは・・・
地球規模で水不足が懸念される中、画期的な用水の利用方法を学びます。
また、今年1月に国伝建地区に答申された黒木町中心部も見学します。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/90120
日時 6月21日(日) 10時集合 雨天決行
集合場所 黒木町 学びの館
http://www.citydo.com/prf/fukuoka/area_chikugo/kenbun/rekishi/kurogi001.html
地図はこちらです
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&pg=1&ino=BA386485&grp=museum
昼食は地元で評判のお蕎麦屋さんへご案内します。
「そば茶房 温人(おんじん)」
http://www.sobasabo-onjin.com/
あぜ道を歩ける服装でお願いします。
会費2,000円(昼食代+資料費)
締切は 6月10日 です 。
主催:日本民家再生リサイクル協会 九州沖縄地区委員会
福岡市大手門3-7-13 エステート芳賀2階
(株)簑原アメニティデザイン内
TEL &FAX : 092-725-8240
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当日、廻水路システムを案内していただく予定の馬場さんのホームページです
廻水路システムの歴史や内容が詳しく書かれています。
http://www.wing8.com/dcity-yame/mu/baba/index.html
2009年
5月
03日
「ISIS編集学校」に入門するまでの26日間を二度草稿したのですが巧くいきません。
一度目は「保存」を、二度目は「公開」のアイコンをクリックしたものの、
二度ともエラーとなり、データは消滅してしまいました。凹みます・・・
これは、アップするな、とのメッセージかもしれませんねぇ・・・(笑)
というわけで、また改めてこの話題は書くことにして、お題を変えて気を取り直していきます。^^
ショコリンさんから、前回記事にこんなコメントをいただきました。
「懐かしいと感じる風景は植生の分布に関係していますよね。
自分の生まれ育った風景と、同じ植物からなる風景だとものすごく懐かしさを感じてしまいます。
私の場合はブナの木の林ですね。
でも、都会で生まれ育った方にはあてはまらないかな・・・??」
たしかに、都会で生まれ育った方ってどうなのでしょう。
私なんて生まれも育ちも緑多き田舎でしたので想像がつきません。
たとえ都会生まれ都会育ちであっても、白川郷の合掌造りの民家群を見て
ノスタルジーを感じてほしいなぁ、と願うばかり。^^
それはそうと、
「懐かしいと感じる風景は植生の分布に関係していますよね。」
との冒頭の一文、いいですね~♪
つい最近私も、同じようなことを考えた場所があるのです。
そこは九州国立博物館(以後九国と表示)です。
ガラス一面に、裏山が映り込んでいるのがご覧いただけると思います。
じつは松岡正剛氏の独演会があった日、昨年末よりご縁ができた
財団の広崎専務と昼食をご一緒させていただいたときのこと、
この裏山をどのようにすればよいか長考されている、とお聞きしたのでした。
なるほど、太宰府天満宮から九国に歩いてくると、
真っ先に目に入ってくるのが写真の光景となります。
様々な照葉樹を中心とした雑木に竹。さらに植林された杉や檜もあります。
藤の花なども咲いていて、山笑う季節ということもあり、それなりに賑やかで、
「植生の分布」では九州らしい里山と言ってよいのではないか、と思いました。
でも・・・たしかに美しいとまでは感じられない・・・
なぜでしょう。それは「手入れ」がないからではないか、と推測されます。
森は自然のままのほうが美しいんだ、とイメージされている方も多いと思いますが、
決してそうではありません。
この国の手入れの歴史は縄文まで遡ることができるといいます。
私は手入れをすることで、九州らしいこの里山が美しくなってほしなぁ、と思ったのでした。
それも、ただ美しくなればいい、というわけではありません。
そこにある木々は天然のものもあれば、植えられたものもあるはずです。
薪炭林を目論んだものの、文明化により放置されたところだってあるかもしれない。
なんてことない雑木林の里山に見えるのは私が無知なだけで、
そこには「人が関わったからこそ」といえる姿があるのだと思います。
どうして今の里山の姿となったのか、その経緯や歴史も合わせて知りたいなぁ、と感じました。
そのようなことを探りながら、さらに美しく、
「九州らしい」里山の風景となるように「手入れ」ができないのだろうか・・・
やってみたいテーマですね♪
この建物は、福岡県出身の大御所建築家である
菊竹清訓築設計事務所(+久米設計)の設計なのだそうです。
設計された菊竹先生のイメージの中には、どんな森の姿があったのでしょう。
それは生まれ育った筑後川下流域、久留米市近郊の里山風景だったのでしょうか。。。