2008年 12月 30日
森林資源の枯渇から和室が生まれた。
今日は思い出で深い、12月4日兵庫日帰り出張での体験(その2)をご紹介します。
E-ディフェンスで振動実験を見学した後、車で15分ほどのところにある
「箱木家住宅」へと向かいました。
箱木家住宅は、室町時代後期(およそ500年前)に遡ると推定され、
現存する木造住宅の中で最も古いものだと言われています。
このころから、柱を地面の中に埋めて固定する掘立柱ではなく、
束石という石の上に乗せる工法へと変わっていきます。
長く続く戦乱によって木材が不足したため、地面に埋めるより
柱を長持ちさせるための工夫がなされたのです。
また、特徴的なのが土壁です。
べっとりと塗り込められた土壁で囲まれています。
土壁の下地には竹が使われていますし、天井も全て竹です。
木材をできるだけ使わずにすむよう、竹と土が最大限活かされているのです。
そして土壁には、もう一つ大きな意味がありました。
当時のそれは、「高気密高断熱の住まい」であったのです。
それをもたらしたのが森林の枯渇です。
木材の不足は、家だけでなく暮らし方を変化させました。
暖をとる際、炭を使用するようになったのです。
煙が出ずチラチラと長時間燃える炭は、薪より木材を効率的に利用できます。
薪を燃やして暖をとるのに、気密性が高いと煙くて仕方ありませんが
炭火ならば土壁のほうが都合良いわけです。
このように、民家を観察していると、その時代におけるその地域の
資源や環境、そして暮らし方などを垣間見ることができます。
そこが民家ウォッチングの楽しいところです。^^
ちなみに、室町後期は木造住宅におけるエポック・メイキングな時期です。
まずは、銀閣寺に代表される「書院造り」。
これが定着したものを我々は和室と呼んでいます。
それから、束石の上に柱をのせる「民家型工法」。
「茶室」に、そして「数寄屋造り」。
それらが皆、資源が枯渇した時代に生まれたというのは
本当に面白いことだと思います。
(以下、安藤邦廣著「住まいを四寸角で考える」より抜粋)
『室町時代末期の戦国時代に戦乱で町は焼かれる。
その復興には木がたくさん使われる。さらに、刀や鉄砲を鉄でつくり、
農機具も鉄に変わったので、たたらで鉄をつくる。鉄をつくるのはたくさんの
薪炭がいる。そのため、西日本の森林は完全に切り尽くされ、資源枯渇をおこしました。
日本の風景は、そのときに一変したのです。禿山があちこちに出現して、
日本の森林は大きな曲がり角を迎えます。
我々は今日、茶室として形式化されたものの美学を、
いわば倹約の美学として受け継いでいる。』