2008年 10月 28日
近代建築・巨匠の「終の棲家」はなぜ「茅葺民家」なのか。
一昨日、日本民家再生リサイクル協会の九州民家塾で、池田武邦先生の自邸「邦久庵」にお邪魔してきました。
池田先生は、日本設計の創始者。代表作は、霞が関ビル(超高層)、筑波学術研究都市、長崎オランダ村ハウステンボスなど。まさに、近代建築の先頭を歩いてこられた巨匠です。
そんな先生の終の棲家は、伝統木造の「茅葺屋根」。
「なぜこの形になったのか」話していただきました。
今日は、その内容をシェアしたいと思います。
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なぜこの形になったのか?
それは、一言で言うならば「感性を取り戻す」ため。
この家にあるのは、
波の音、鳥の鳴き声、虫の声。
それから風の音、塩の満ち引き、月齢。
若かりしときは、近代化すれば、合理化していけば、
世の中は良くなり、豊かになり、人間にとっていいことばかりだ、
と思ってやってきた。
ところが、その成長には限界があることを公害問題で知る。
たとえばDDT。
スイスの科学者パウル・ヘルマン・ミュラーはDDTにてノーベル賞を受賞した。
その後、レイチェル・カーソン「沈黙の春」で農薬問題が告発されDDTは使用禁止となる。
近代化の世の中は、急激に上昇カーブを描き、そしてダメになる。
ローマクラブの「成長の限界」は、それを示唆している。
近代文明を享受すると、感性が鈍る。
そして、身の危険を感じなくなってしまう。
文明とは、普遍・優劣・創造・欲望・人間主体なもの。
文化とは、固有・対等・伝承・知足・自然主体なもの。
文明とは遠心力。文化とは求心力。
文明の良し悪しを心得ながら、今は文化を目覚めさせるとき。
文化の掘り起こしを今やらなければ、伝承が途切れてしまう。
足るを知ると同時に、精神的なものにウェイトを置く世の中にしたい。
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ちなみに文化と文明の定義を司馬遼太郎は「アメリカ素描」こう表現しています。
「文明は
『たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの』
をさすのに対し、
文化はむしろ不合理なものであり、
特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、
他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。」
(2年半前の拙ブログ「文化と文明の振り子」に関連記事あり。)