アーカイブ 2010年3月

2010年 3月 27日

樹齢2000年を超える台湾ヒノキ

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(杉が植林され、異国だと感じさせない風景)
 
3月20日から台湾の阿里山国家風景区 (ありさんこっかふうけいく)に行っていました。
そこは、2000年を超える桧の巨木が群生する地。
でも簡単にたどり着くことはできません。
福岡空港から台北まで飛行機で2時間。
そこからさらに阿里山まで車で6時間半。
宿舎に着いたのは家を出て13時間が過ぎた頃でした。
興奮していたのか、翌朝は4時に起床(笑)
今日は写真を見ていただきたいと思います。
 
(以下、wikipedia より編集)
最高峰は大塔山の2663m。面積は約32700ヘクタールで、
その内1400ヘクタールが「阿里山国家森林遊楽区」に指定されており、
日の出・夕霞・雲海・鉄道・神木の「五大奇観」が有名である。
 
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(今は運行していない森林鉄道。この木製の汽車に乗ってみたかった・・)
 
戦前の日本統治下、1934年に隣接する玉山とともに、
新高阿里山国立公園として日本の国立公園に指定されていた。
阿里山の森林が初めて日本人に発見されたのは1900年のことで、
1904年から林学博士である琴山河合により調査が始められた。
 
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(樹齢800年)

植物は、熱帯・暖帯・温帯の植物が見られる。
1800m以上になると樹齢1000年を超えるタイワンヒノキ (中国語: 紅檜) が多く自生しており、
靖国神社の神門や橿原神宮の神門と外拝殿、東大寺大仏殿の垂木など、
日本の多くの神社仏閣に阿里山のタイワンヒノキが使われている。
さらに明治神宮の一代目大鳥居にも使われていたが、1966年7月22日の落雷で破損し、
現在大宮氷川神社の二の鳥居として第二のお役に立っている。
 
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(樹齢1500年!)
 
樹齢3000年を誇る初代「阿里山神木」は腐敗が進み、1998年6月29日に切り倒された。
そこで2006年、2万5千人の投票により「二代目神木」が選考され、
「光武檜」↓が二代目「阿里山香林神木」となった。
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(樹齢なんと2300年。樹高45m。私が米粒のように見えます。)
 
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この↑ 2本の木は、左が「台湾杉」で右が「紅檜」。
このように一対になった杉は通常「夫婦杉」と呼ばれますが、
これは杉と桧なので、なんと呼べばよいのでしょう。
でもある意味、本当の夫婦のようでもあります。
 
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別アングルからこの杉を見ますと、左に桜、右に松が、助さん格さんみたいにそびえていました。
 
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ちょうどこの時期、阿里山は花ざかり↑↓。
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森林鉄路「阿里山駅」にて、紅檜↓の樹形を見る。
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(番外編)
阿里山への移動中に立ち寄った高速道路PAのレストランにて。
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近づいてきた子どもが、木のベンチでおもむろにゴロン・・
彼らは、気持ちの良いところを知っている。

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2010年 3月 11日

景色のよい戸袋

カテゴリー 杉の文化研究所

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先日、東京へ行った際に、根津美術館を訪ねました。
この建物は建築家・隈研吾氏の設計で、2010年毎日芸術賞を受賞しています。
 
今日は、その敷地内の庭園にある、
弘仁亭・無事庵(こうにんてい・ぶじあん)という茶室の杉づかいを
記録に残しておこうと思います。
 
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無事庵の腰掛待合(こしかけまちあい)。
屋根は、杉皮の平葺き。
 
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弘仁亭で面白いと思ったのが、戸袋のバリエーション。
1つ目は、杉の、刃物を使わず裂いた「ヘギ板」を網代(あじろ)に編んだ物。
 
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2つ目がこちら。同じ杉の網代と思いましたが、テクスチャが違う。
それで近づいてみると…
 
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なんと!杉皮が裏返して使ってありました。
 
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そして3つ目がこちら。杉の平皮の表面をそのまま使用していますが、
外壁には杉平皮が横張りされているのに対し、戸袋は縦張り。
張り方の違いで、表情に変化を加えていました。
 
こんな杉皮の使い方、茶室などでない限り、なかなか見られません。楽しいものです。
番外編ですが、軒裏の素材がまた面白い。
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こちらは、細い竹を並べています。
九州の古民家の天井などにはポピュラーな竹天井ですが、
このように軒裏に使用されているのは珍しいのではないでしょうか。
そしてもう一つの面白い軒天井がこちら↓。
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木の種類はわかりませんが、ともかく細い柴が敷き詰められていました。
「おじいさんは山へ柴刈りに…」(笑)
 
番外編その2.
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小さな高瀬船の上にも、土壁と杉皮葺き屋根の茶室が…
 
私はお茶の世界をまったく知りませんが、素材をのびやかに使い楽しんだ
茶人の遊び心に素直に感心してしまいました。

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2010年 3月 06日

連載で生まれたもの。

カテゴリー 木挽棟梁のモノサシ

今週火曜日の3月2日、
「木挽棟梁のモノサシ」の最終稿(15回目)を書き終えました。
掲載は、3月14日(日)朝刊で「完」となります。
 
連載中、何度も暗礁に乗り上げましたが、
たくさんの方から、励ましのお手紙やお電話、お声かけをいただき、
何とか無事に航海を終えることができました。
今は安堵感と感謝の念に包まれております。
ありがとうございました!
 
本日は、そんな苦しいときに励まされた2つの記事をご紹介します。
一つ目はこの↓ブログ。
http://tomoka.jugem.cc/?eid=1378
 
9回目の記事 『乾燥~「ゆっくり」が大事』 について、感じたことを書いてくださっています。
お伝えしたかったことが届いていて、とても嬉しく思いました。
ショップをなさっているようですので、近々お邪魔してみたいと思っています。
私のブログの読者ではないかもしれませんが、どうもありがとうございました!
 
そして二つ目は、壱岐日々新聞(2010年2月19日金曜日付)。
1面の下方にある日経新聞でいうところの春秋欄に、
ご紹介していただきました。以下、原文を抜粋します。

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『 毎朝1時間半くらいかけて日刊紙を3紙読みます。
 その中で西日本新聞は、特に連載ものに白眉な名品が多い。
 今は杉岡世邦さんの筆による「木挽棟梁のモノサシ」が読ませます
▼14付の連載11回目では、インフルエンザでの学級閉鎖の内訳を
 調べると、コンクリ校舎は木造校舎より閉鎖率が2~3倍高いとあります。
 筆者は疑い深い性格なので「そういっても流行の地域性も、
 校舎の建つ立地条件も違うから単純には比べられん」と考えました。
 しかし、読み進んで完全脱帽したのです
▼【九州大の綿貫教授が熊本県の小国中学1年生の3クラスで
 免疫の実験をした。1組は新しい杉の木の机と椅子、2組と3組は
 スチールと合板の机と椅子で、各々新品と古いもの。
 実験開始2週間後、唾液中の免疫グロブリンAを計測すると、
 1組は37%アップ。2組3組は1.7%~4.4%どまり。
 4ヶ月間のインフルエンザ欠席者数は、延べで1組は5人、
 2組3組は30~65人。杉の木の香りセスキテルペンの濃度の
 違いだとの推測】あまりの話に失礼ながら引用させて頂きました
▼しかし溜め息の出るような話です。日本の古来の知恵の深さに
 改めて慄然とします
▼壱岐にも対馬にも伐採適期の木はたくさん。
 個人の住宅はもちろんですが、ひとつ公共施設は木材の原則が
 作れないでしょうか。学校、港のターミナル、市庁舎、博物館…
 適用はいくらでも可です。 』

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この記事に紹介された11回目の記事は↓
『インフルエンザ~木のパワーで撃退』  
 
今はとても小さな環なのかもしれませんが、少しずつ
同じものの見方をしてくれる方が増えていくことに心強さを覚えます。
この記事を書いてくださった、種田拓様、ありがとうございました。
 
9月の上旬より書き始めて半年。
自分を取り巻く環境にさほど変化はありません。
でも、私の意識は大きく変わった気がしています。
経営環境は、この13年間で最も悪い状態。
希望にあふれる時期ではないのかもしれませんが、
私の中には今、熱いものが沸々としています。
おそらくこの度の連載は、覚悟の機会であったのでしょう。
 
さあ、Next !

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2010年 3月 01日

あれから4年。

カテゴリー 日々雑感

4年前の今日(2006年3月1日)が初ブログ↓。
http://blog.goo.ne.jp/marusugi_2006/e/4e1807fc73196fbc843e08e2667c2a55
 
幼少の頃より、話しは饒舌なのに、書くのはからっきし。
伝えたいことは山ほどあるのに、表現できないもどかしさ。
そんな文章力のない不甲斐なさに嘆いたり、悪態ついたりしながら、
アップするときは、何時間もパソコンに向かう自分がいました。
(今も、さほど変わりませんが…笑)
 
こんなこと書いている割には、この2カ月間の更新はゼロ。
なんか、かっこつきませんねぇ。お恥ずかしい・・(笑)
脳裏に言い訳ばかりが浮かんできますが
本日が節目であることに免じ、
近況報告を少々させていただきます。
 
10月初旬から、ISIS編集学校という編集術プログラムの
「破」コースに学び、一昨日、修了式で東京へ行きました。
それから、西日本新聞で連載しているコラムも、
3月14日【日】掲載の15回をもって終了となります。
現在は、最終稿を残すのみで、こちらもあと少しで卒業です。
(正式ではありませんが、連載第2弾のお話もいただきました。)
  
と、まぁこんな感じでこの5ヶ月、創文の日々を過ごしました。
それなのに、小学時代から抱く作文への苦手意識が
克服できていないのは、なぜでしょうか・・(笑)
Think write 脳に変わるのって、難しいことなのでしょうね。
 
そんな、進歩しない私ですが、
これに懲りず、今日は、新たな取り組みを始めてみました。
 
おっと、3月1日から日付が変わりそうです。
そんなわけで、後日またご報告いたします。

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