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2009年 6月 22日

林業の処方箋?

カテゴリー 杉の文化研究所

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(月下美人)
 
昨日は、福岡県黒木町で開催された九州民家塾に行ってきました。
散策中、たまたま咲いていた月下美人にめぐり合いました。
月下美人は、夜に咲き始め翌朝までの一晩でしぼみ、
めしべに他家受粉が起きなければ散ってしまう花とのことで、
こうして見られたのは幸運なことのようです。^^
民家塾の詳細は改めてアップしたいと思います。
 
さて本日は、先日の記事「真竹の筍を食しながら森の未来を考える。」
にいただいたコメントをそのままアップしたいと思います。
ボリュームといい、内容といい、コメント欄に埋もれさせるのは
もったいないと思ったからです。
この中には、林業や木材に携わる私たちのヒントとなることが詰まっていると感じます。^^
 
(以下 Dream Writer さんからのコメント)
******************************************** 
 
筍の炭焼き、おいしそうですね!
混ぜご飯や煮物の筍が大好きですが、筍の天ぷらも好きです。
ほくほくしてて、お菓子みたいだと思います。
 
 
林業の状況、初めて知りました。
>つくり出すことのできる唯一の資源である「木材」を活かした方が良いのは明らかだと思います。
確かにそうですね。
木材が活かされる環境になってほしいです。
 
 
社会がどんどん高速化しているので、
人々の生活のスピードもどんどん加速していますよね。
「今すぐ!」というのが本当に多い。
どんなことでもすぐに結果を求める傾向が強いと思います。
私にもそういう部分がありますので、神様が息子を派遣して
下さったんだと思っています。(笑)
 
 
 
1本の木を育てるのに、長い時間を要するというのが
頭ではわかっていても、「長い時間」という感覚が実感できない人が
多いような気がします。
 
 
鍾乳洞の探検家が、ある鍾乳洞で石筍が何本も切断されているのを見て
号泣したそうですが、どれだけの時間をかけて作られたものなのか
理解できない人、そういう感覚を持ち合わせていない人が
何も考えずに切ったんじゃないかなぁと思っています。
 
 
すぐすぐ何か具体的な結果に結びつくわけではないですが、
長い時間を経て作られる・成長するものの価値、
人間の手で短期間でどうこうできないものの価値が
もっと知られるようになればと思いました。
 
 
自然の営みというか、木の生育というのは、
生産工程通りに進むわけじゃないし、
工業製品のように原料の配合をこうすれば、こうなる
と、単純な予測ができるものでもない。
そういうものへの畏敬の念や愛着みたいなものを
子どものころから持てるといいなぁと感じています。
 
 
私が木が好きなのは、やはり小さい頃の環境だと思っています。
庭に木がたくさんありましたし、なぜかお風呂はヒノキでした。
生活は豊かじゃなかったと思うのですが、両親はこういうところに
お金をかけたかったのかな。
 
 
まとまらない長文になってきました(汗)
 
 
単純に「木っていいなぁ」「木ってスゴイなぁ」というのを
大勢の人が感じるようになればが、何か変わっていくんじゃないかなと思います。
 
 
息子が生まれたときに市から枳殻をプレゼントされました。
実家の庭の隅っこに植えてもらいました。
息子は「こーちゃんの木」と言って、実家に行くと挨拶(?)しています。
自然に恵まれた環境ではないので、日常の小さな機会を利用して、
木や植物に触れさせたいと思っています。
 
********************************************
(抜粋ここまで)
  
林業の記事を書く度、重たくなったなぁ、といつも反省してしまいます(笑)
それはもちろん林業が苦境に立たされているからですが、でもそれだけでなく、
時間的にも空間的にもスケールが大きく、処方箋が難しいからだとも思います。
  
「大変なのはわかった。では具体的に、誰に、どんな協力をして欲しいのか。
それを言わずに苦しい現状を理解してほしい、だけでは何も解決しないではないか。」
 
最近では、そんな声にならない声が聞こえるようにもなってきました(笑)
環境問題の関心が高まる中、こんな協力をしていください、と声高に
具体的なお願いをすれば、それは叶えられるのかもしれない、
とこの頃は思うようになりました。
 
そのためにも、今回のDream Writerさんのコメントは示唆に溢れていると思います。

「長い時間を経て作られる・成長するものの価値、
人間の手で短期間でどうこうできないものの価値が
もっと知られるようになればと思いました。」
 
「そういうものへの畏敬の念や愛着みたいなものを
子どものころから持てるといいなぁと感じています。」
 
「私が木が好きなのは、やはり小さい頃の環境だと思っています。」
 
「(息子には)日常の小さな機会を利用して、木や植物に触れさせたいと思っています。」
 
そして極め付けが、
 
「単純に「木っていいなぁ」「木ってスゴイなぁ」というのを
大勢の人が感じるようになればが、何か変わっていくんじゃないかなと思います。」

 
やっぱそうですよねっ!!^^
木を欲しがってもらう、木の良さを活かしたモノを使っていただく、
根本的な解決方法はそれしかない、と改めて感じました。
なんとなくアイディアが降ってきそうな予感がします。
 
Dream Writerさん、温かいコメントに心より感謝申し上げます。
ありがとうございました!

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2009年 6月 19日

真竹の筍を食しながら森の未来を考える。

カテゴリー 杉の文化研究所

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数日前、真竹(マタケ)のタケノコを炭焼きして食べました。
山に近い私たちの地域は、様々な種類のタケノコを食します。
時期的に一番早いのはタケノコの王様、孟宗竹。
次に「ハチク」、「ゴサンチク」と時節が移り、
最後が「マタケ」で今頃となります。
好みは様々だと思いますが、「マタケが一番美味い」という方も多いようです。
 
ちなみにタケノコは、林業生産物の一つですが、
孟宗竹以外のタケノコはあまり売り物になっていないと思います。
話は飛躍しますが、みなさん日本の林業生産高をご存知でしょうか?
 
答えは年間約5000億円です。
日本のGDPが560兆円なので0.1%もありません。
数字だけを見ると、中堅上場企業の年間売上程度であり、
産業といえるだけのダイナミックさは見られません。
主産業の代表格、トヨタ自動車の売上高は、
昨年度大幅な減収とはいえ売上20兆円(連結決算)。
産業政策などを考えた場合、重視されるのは数字を見るとよくわかります。
  
つづいて、林業就業者を見てみたいと思います。
全就業者人口比率で言うと、農業5.3%、漁業1.1%です。
それでは・・・
林業は何%だと思いますか?
 
答えは、0.1%以下です。
林業就業者数は平成16年のデータで6万人。
この年は、全就業者人口が6730万人なので計算すると0.09%。
しかも6万人の中には近年、統計の就業者人口に加えられた65歳以上が35%も含まれます。
現在はそれから5年が経っていますのでさらに減少していることでしょう。
  
よく農林漁業とひとくくりにされていますが、このように見てみると、
林業だけが桁違いに弱っていることがお分かりいただけると思います。
経済的にも、また政治的(票田的?)にも、「林」関係は影響力に乏しい業界だと感じるのです。
  
GDPでも就業者人口比率でも0.1%に満たない、
そんな林業の現状ですが、大きな数字を抱えています・・・
 
森林は日本の国土の66%を占めているのです。 
 
このうち、人工林は森林の約4割を占め、天然林は約5割、
その他(無立木地・竹林)が約1割となります。
人工林のほとんどはスギ、ヒノキ、カラマツなど建築資材等に利用できる針葉樹林です。
これら人工林は国土の26.4%(66%×40%)を占めています。
わが国の最近の木材需要量は、8千万~9千万m3 程度で推移しています。
外材の占有率が8割と高く、国産材の自給率は2割程度です。
ですが、木材は毎年成長するので、国産材も机上の計算では、
今とは逆の8割を供給するだけの蓄積量があるのです。
 
一方で、治山・治水的側面からも、人工林は間伐という手入れをする必要があります。
木材資源を得ながら同時に、地表に植物が繁茂する環境を保つためです。
昨年までの原油をはじめとする資源高の構図は、経済的に厳しくありつつも
木材という資源を見直すような勢いがありました。
さらには、二酸化炭素の問題、環境税などの政策により、
森林に手を入れるベクトルは徐々に強まってきているように感じました。
  
ところが、一昨年のサブプライムショックから続いてきた世界的な金融危機は、
それを大きく後退させるという、影響を及ぼしています。
対外通貨に対し一方的な円高傾向にあり、為替の要素だけでも
輸入品価格を押し下げる傾向にあります。
さらに、林業から産出される木材の生き場所は建築・建設業界です。
将来への不安、金融機関の貸し渋りなど住宅需要は急激に収縮し、
需給バランスが崩れています。
それにより、半年間で木材(丸太)の単価は3~4割も下落しました。
それでも買い手がつかず、たとえ国や県から補助金が支給されても
赤字となってしまうような、間伐できない状態となっているのです。
 
政府は、多くの失業者を林業へ、という政策を声高にリリースしましたが
現実は、木を伐り出しできる技量のある林業従事者は激減しています。
この構図は、漁業にも農業にも同様に表れていますが、
就業者人口比率が一桁低い林業が最も深刻だろうと思います。
 
目の前に木はあるのに、伐り出せる人がいない・・・
このままでは、そんなことが起こってしまうとも限らない。
限界集落ならぬ、「限界産業」化しているような気がします。
 
地下資源の中で豊富な鉄でさえ、可採年数はあと230年しかないというデータがあります。
限りある地下資源を次世代に継承するためにも、
つくり出すことのできる唯一の資源である「木材」を活かした方が良いのは明らかだと思います。
 
でも、残念ながら林業は、経済力も政治力も非力です。
木材に関わっていない方々の力なしには、どうにもならないところまで来ています。
そのためにも、生活者にとって「林」の問題が身近になる必要があると思います。
それには一体、どんな切り口があるのでしょうか・・・

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2009年 6月 08日

「きれい好き」=「日本人」=「稲」+「杉」の公式

カテゴリー 杉の文化研究所

前回記事、
『「水資源」により経済大国となりえた日本』へこのようなコメントをいただきました。
 
『知り合いの大学教授の方が、外国で講演するときに、
 
 「日本は何で、あんなにいろいろ精密機械をつくったりできると思いますか?

 答えはきれい好きだからです」
 
と話すと、すごく受けると聞きました。

なるほど、水がきれいで豊富ゆえにきれい好き。

環境により、人間の性質も影響されるのですね。。。深い。。。』
 
なるほど、たしかにそうだと思いました。
「きれい好き」という国民性があったからこそ、今日の日本の姿があると共感します。
そして、このコメントを読みながら、
どうして日本人が「きれい好き」でいられたのか、
その理由を書いてみたくなりました。
本日は、「杉のきた道」(遠山富太郎・著)を参考にしながら、
きれい好きに繋がる水と木の関わり合いを少し掘り下げてみたいと思います。
 
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(これが日本橋。魚河岸側から銀座方面に向かって撮影されたもの)
 
1.「きれい好き」でいられるのは○○のおかげ?
 
日本人はきれい好き。これを否定する方は少ないと思います。^^
むしろ、それが過ぎる、と言われているくらいですよね。(除菌・抗菌など)
それでも今回は、「きれい好き」を肯定的に捉えるという前提で話を進めたいと思います。
今から400年前の日本人は、どれくらいきれい好きだったのでしょう。。。
 
(「杉のきた道」より引用はじめ)
 
1609年に日本を訪れたスペイン人ドン・ロドリコは、
「日本には沢山の都市があるがその都市は広くて大きく、人口も多く、また清潔で秩序もよく整っている。
欧州の都市でこれに比較できるものはない。
家屋や市街・城郭などは非常に立派で、人口20万の都市も多く、京都は80万をこえている」
と当時の日本の都市の立派さに感嘆している。(86頁)
 
近世のはじめに来訪した西欧人が驚いたのももっともで、そのころのフランス、
たぶん全欧州に、5万以上の人口をもった都市が数えるほどしかなかった。
その制約の主な一つは環境衛生問題と思われる。(88頁)
 
(引用終わり)
 
中世の頃からわれわれ日本人は、世界でも稀有のきれい好きであったと記されています。
それでは、中世ヨーロッパの環境衛生はどうだったのか、もう少し詳しく見てみましょう。。
「文明の条件」(鯖田豊之)から要点を上げます。
 
「・都市壁が欠かせない西洋の都市は、面積が狭くなり、二階三階建てはざら。
   この結果、水の補給に悩まされただけでなく、排泄物の処理が過密都市の大問題であった。
 ・日本では、都市でも平屋が圧倒的で、汲取り便所さえつくればどうにでもなった。
 ・日本の水田農業では糞尿類を肥料として使用する慣行が早くから定着していたが、
  古い時代のヨーロッパの農業は、糞尿類を肥料にするのは野菜畑や果樹園に限られていた。
 ・17世紀のパリでは、ルーブルの中庭や階段にまで便がたまり、
   いつも悪臭をまきちらしていたともつたえられる。
 ・16世紀から18世紀までのロンドンやパリの三階四階などの住民は、
  便器を愛用し、日没後その内容物を窓からすぐ下の街路に捨てる風習があった。」
 
当時の西洋の衛生環境が劣悪だったのを彷彿とさせますね。
と同時に、いかに日本人が昔から「きれい好き」であったかが窺い知れます。
とはいえ本来、汚い所が好きという人なんていないと思います。
きれいにしたくとも、なかなか条件が整わないのです。
では、「きれい好きでいられる恵まれた条件」とは何だったのでしょうか。
 
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(庶民の町 神田明神下の風景)
 
2.行き先あっての・・・
  
1562年に来日したポルトガル人の宣教師ルイス・フロイスは、
1585年に書いた「日欧文化比較」の中にこう記しています。
「われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。
 日本ではそれを買い、米と金を支払う。」
 
近世になると、大坂でも江戸でも下肥は金銭で売買されていたようです。
農繁期の汲み取り専業者が大坂で活躍し始めたのが1694年ごろといわれています。
日本では大昔から、せまい町屋であっても大小便所は別々でした。
借家の場合、大便の権利は家主のもので、借家人は小便の対価しか得られなかったといわれます。
 
これらのことからも日本は、糞尿を肥料として収集し、農地へ広く散布することにより、
米の栽培量を増やし、同時に都市の衛生環境を守っていた、ということが言えると思います。
「稲」の肥料として使用する、という糞尿類の行き先は、恵まれた条件の一つでありました。
 
humiguruma1.jpg
  
3.入れ物あっての・・・
 
前述しましたが、中世のヨーロッパでも野菜畑や果樹園に糞尿類を肥料として使用していました。
ド・カンドルの「植物生理学」によると、ヨーロッパ農業における肥料の歴史でも、
家畜と人間の大小便が中心であったようです。
 
それなのになぜヨーロッパでは、都市の下肥が農業肥料として使われなかったのでしょうか。
 
その理由として、遠山富太郎氏は「杉のきた道」で次のように述べています。
 
「理由として、液肥が広く普及するための能率的な運搬法、とくに適当な容器がなかったことが考えられる。」
 
回りくどく説明してきましたが(笑)つまり、
液肥を集める担ぎ桶が開発されたからこそ、日本人は「きれい好き」でいられたのです。
そしてその担桶は、「杉」でつくられました。
杉の担桶は、開閉自在で、軽くて丈夫、長持ちし、量産可能です。
この画期的な入れ物が開発されたことを、恵まれた条件の二つ目と考えたいと思います。
 
koeoke_tenbinbou1.jpg
(新潟市教育委員会西川地区公民館所蔵)
   
4.運搬あっての・・・
 
そしてさらには、液肥が広く普及するために、行き先・容器と同じくらい重要な条件がありました。
それが「能率的な運搬法」です。運搬には川舟が使われました。
雨量が多く流れが急な日本の河川は、降水量の季節変動も激しく、川舟は独特の形をしていました。
 
(「杉のきた道」より引用はじめ)
 
「日本の川はどこでも、年に何度も大水が出て、その後では昨日の淵は今日の瀬となるように変化する。
そういう川では底の扁平で浅い舟でなければ役に立たない。
平底の舟は竿一本で操れるという長所もある。(中略)
そういう平底の川舟はかなり古い時代から日本の各地方にあたっと思われ、一般的に「高瀬船」とよばれている。
日本では高瀬舟に限らず、厚板の強さとしなやかさに依存して、
板をつなぎあわすことだけで舟がつくられてきたといえそうである。」
 
(引用終わり)
 
「ヒノキは宮殿に、スギ・クスは舟に、マキは棺に」
スサノヲが説いたこの日本書紀の適材適所の話は有名ですが、
底が平らな高瀬舟とよばれるこの舟に最適な材料も、桶と同じく「杉」なのでした。
元来日本は降水量に恵まれ、農村でも都市部でも水路が発達していました。
その水路を杉の平底舟は自在に往来したのです。これが恵まれた条件の三つ目といえるでしょう。
 
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(利根川の舟橋に見る高瀬舟)
 
5.まとめ 
 
これまで、中世の日本人はなぜ「きれい好き」でいられたのか、考えてみました。
そこには、糞尿の行先、容器、運搬法の三位一体が浮かびあがってきました。
そして、それらの恩恵を掘り下げていくと、必ず水田と森林に辿りつくのです。
どうやら我々の第一の資源は「水」である、といってよさそうです。
 
「急峻な地形にも関わらず、大きな洪水を起こさないようにしているのも
 森林と水田の巨大な緑の「ダム」としての働きがあるからだ。」(前回記事より引用)
 
第一の資源「水」は、「森林」と「水田」によってもたらされるということを前回書きました。
一方で「森林」は、「木」という資源を生み出します。
日本の「木」の代表とも言える「杉」は、桶(容器)となり、川舟(運搬法)となりました。
そしてそれは、下肥のように捨てるのに困るものでさえ、江戸や大坂において、立派な商品たらしめたのです。
遠山富太郎氏もこう綴っています。
 
「日本人の排泄物のほとんどがスギの担桶で集められ、スギの大桶に貯えられ、再びスギの担桶で日本中の
農地に施肥された。田畑は豊かなみのりでこたえ、都市では清潔で健康な生活が維持できた。
日本ではおおよそ三百年以上もそういう時代がつづいた。」
 
長くなりましたが、私なりに最後をまとめてみたいと思います。
 
『日本が経済大国となりえたのは「水」資源が豊富であったからである。
さらに「きれい好き」であったからこそ技術が発展することとなった。
「水」を生みだすのは「森林」であり「水田」である。
日本人の「きれい好き」な性質を醸成してきたのもまた「森林」と「水田」であった。
つまり本来日本とは、『「稲」と「杉」の国』と言ってよいのではなかろうか。』
 

 
本日は長文となってしまいました。最後までご覧頂きありがとうございます。感謝します。^^

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2009年 6月 04日

「水資源」により経済大国となりえた日本

カテゴリー 杉の文化研究所

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『農協の大罪』(山下一仁・著)という本を読みました。
「農協=自民党=農水省」の護送船団を延命させることと引き換えに
食料自給率は下がり続けていると、元農林官僚である著者は警鐘を鳴らします。
この本をどう解釈するかは、立場によって様々あろうかと思います。
(参考:池田信夫ブログでの書評↓)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b30f7850017c6e196746fd3208515adf
  
それでも今回この本をご紹介しようと思ったのは、読んで気づかされたことがあったからです。
本の主旨とはずれてしまいますが(笑)、本日はそのことをシェアしたいと思います。
 
*********************************************************** 
  
子供のころ学校で、日本は「資源の乏しい国」だと教わりました。
多くの方もそのような先入観を抱いておられることと思います。
確かに日本は、石油や鉱物資源などを輸入して、鉄・自動車・電気製品などを造っています。
しかし、どうしてこれらの資源が豊富なアラブ諸国やオーストラリアなどでは、
充分に工業が発展しないのでしょうか。
 
理由は、「水」という資源が乏しいからだ、と著者は断言します。
 
(本著より引用します。)
 
「部屋を汚すと、雑巾に水を含ませて拭き取る。工業の原理も同じである。

鉄鋼石をエネルギーによって熱し、鉄の板に加工するが、その後の処理に水が必要となる。

つまり、水は工業生産によって生じた廃物、廃熱を拭き取る役割を果たしており、

水なくして工業は成立しない。」
 
(引用終わり。)
 
なるほど・・・と思いました。
教育や人材など、いろんな見方あるでしょうが、この切り口は新鮮に感じました。
そして引用文に続く次の言葉が脳裏に残響しています(笑)
 
「わが国は「水」というきわめて重要な資源を持つ「資源大国」なのである。
 また、それゆえ経済大国となりえたのである。」
 
 
日本の年間平均降水量は1700ミリ、世界平均の2倍もあり、世界第3位です。
ところが雨水のままでは、水は流れてしまうだけで利用できません。
季節により降水量に偏りがありますし、川の流れが急であるためです。
明治時代、治水工事の指導で来日したオランダ人ゲレーケは日本の川を見て
「これは滝だ」と叫んだといいます。
 
そこで、雨水を蓄え蒸発させることなく供給する仕組みが必要となります。
幸いにも日本にはそれが備わっていました。それこそが、
先祖代々継承してきた、第二の資源である「森林」と「水田」なのです。
言い換えるならば、次の言葉となります。(本著より引用。)
  
「急峻な地形にも関わらず、大きな洪水を起こさないようにしているのも
 森林と水田の巨大な緑の「ダム」としての働きがあるからだ。」
 
これまで、森林や水田の貯水機能について、幾度となく聞いたり読んだりしてきました。
しかしながら本著にあったこの一文は、私にとって発見的でありました。
(くどいようですがもう一度、笑)
 
「わが国は「水」というきわめて重要な資源を持つ「資源大国」なのである。
 また、それゆえ経済大国となりえたのである。」
  
それこそが学ぶということだ。
これまでもずっと知っていたことが、
突然新しく見える。

            ドリス・レッシング

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2009年 4月 23日

杉赤身勾玉と神田明神

カテゴリー 杉の文化研究所

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4月20日(月)、以前からお会いしたかったkemiさんとの初対面の後、
神田明神をご案内して頂きました。そこには、ご縁のある仲間9名が集いました。
(詳しくはたにむらさんのブログを。^^)
お集まりになる皆さんに、何か自分でつくったものを差し上げたいな・・・
と思いできあがったのが8つの杉の赤身の勾玉でした。

というわけで先週は、隙間時間を見つけては木を削っていたのです。^^
  
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名付けて!「スキアカミノマカタマ」(杉赤身勾玉)
 
(以下、プレゼントに添えた説明書きより抜粋)

******************************************************** 
 勾玉は縄文中期より見られる日本独自のディテイルで、
『三種の神器』《八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)》の一つに数えられています。
 
 儒学では、鏡「知」・勾玉「仁」・剣「勇」の三つで三徳といわれます。
「日(陽)」を表す八咫鏡に対し「月(陰)」を表すという説もありますが、出雲風土記によると、
太陽と月が重なりあった形を表し両方の恩恵を受けるとされます。
 
 八尺瓊勾玉は、三種の神器の中で唯一皇居御所にあるといわれます。
八尺は大きさ(尺は咫との説あり)、「瓊(に)」は赤色の玉のことです。
 勾玉は、もともと古代語で「マカタマ」と呼ばれていて、
「マ」は人の上に立ち名を知られる象、また争いを避けるという意、
「カ」は陽気で盛んな象、運氣強く神の助けありなどの意があるのです。
 ちなみに古代サンスクリットで「マカ」は、優れていること、大きいこと、
偉大なこと、勝利などの意があります。
  
 今回は杉の赤身材で勾玉をつくってみました。
吉野ヶ里公園で体験した子どもたちとの勾玉つくり後、
木でつくれないのかと尋ねられたのがきっかけとなりました。
手に取っていただけば、その軽さに驚かれると思います。
つぎに温かさ、柔らかさ、掌の汗を吸い取る清々しさなどをお感じになるでしょう。
ぜひ味わっていただきたいのは、その香りです。
香りが少なくなった場合は、同封のペーパーで少しお削り下さいませ。
  
 江戸時代、オランダ人医師シーボルトは、勾玉の研究をしています。
著書「日本」に<教養ある日本人が好んで思いをはせるもの>と書き出しで記されています。
あなたのお気に召すことを心より祈っております。
 
********************************************************
何気に思いついた勾玉作りですが、調べるほどにその奥深さに引き込まれていきます。
勾玉は、漢字で表わすと「」(ともえ)です。
私の住所は、朝倉市杷木。合併前は朝倉郡杷木町でした。
「杷」という字は、「木」偏につくりが「巴」、つまり木でつくった勾玉と解釈しても良いわけで・・・(笑)
  
すみません、話は冒頭に戻ります。
kemiさんにご案内いただいた神田明神は、本当にこの「巴」だらけでした。
 
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建物のいたるところに・・・
 
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お賽銭箱にも・・・
 
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鳥居前のお菓子屋さんはそのものズバリ・・・(笑)
 
巴が二つだと道教(タオイズム)の太極図となります。 
こちらで見られる巴は基本的に「左三つ巴(みつどもえ)紋」です。
「左三つ巴紋」といえば、高野山真言宗紋を思い出します。
http://www.koyasan.or.jp/
空海は讃岐の豪族佐伯直田の三男で、「巴紋」は佐伯家の家紋でもあります。
天皇から弘法大師の称号を下賜されたときに天皇家の家紋「五三の桐紋」を許され、
「五三の桐紋」と「左三つ巴紋」の二つで高野山真言宗紋となるのです。
  
この日のちょうど1年前の4月20日、私は高野山奥の院に行っていました。
またこの前日、高野山と縁の深い方とお会いして、不可思議な体験をしたばかり。
いろいろなことがシンクロしています。なんだか楽しい毎日です。^^

一昨日私は、松岡正剛氏が主宰される「ISIS編集学校」に入門しました。
そのことを次回はアップしたいと思います。
 
kemiさん、すっかりお世話になりました。
アスター銀座のランチがとても美味く楽しい時間でした。
ご縁に感謝します。ありがとうございました。拝

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2009年 4月 15日

「虔十公園林」(宮沢賢治)と「杉」

カテゴリー 杉の文化研究所

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「杉の文化研究所」というカテゴリーをつくってふた月近くなりました。
ひと月以上前になりますが、このブログにいつもあたたかいコメントを
寄せてくださる「たにむら」さんより、このようなメールをいただきました。
 
**************************************
ご存知かもしれませんが、
宮沢賢治の童話にも杉苗を植える話があります。(虔十公園林)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4410_26676.html

この話を知ったのは、ますむら・ひろし氏のイーハトーブ乱入記です。

ますむら氏は、この話について
「宮沢賢治は、現実の学校教育と<激突>していたのだ」
と、書いています。
**************************************
 
私はそのとき初めて、虔十公園林(けんじうこうえんりん)を読みました。
短い童話なのでぜひ読んで頂きたいのですが、内容を要約しますと・・・
   
「虔十」は今で言えば知的障害のある人で、周囲の人から馬鹿にされたりからかわれたりしていました。
ところがある時、なにを思ってか野原に杉の苗を植えます。すると後年、そこはすばらしい杉林となって、
町のみんなの心のよりどころとなったのでした、
 
というようなお話です。
宮沢賢治は、本当の「知性」そして「賢さ」とは何か、という主題を
生涯にわたって何度も作品の中で追求したように思います。
それは、「雨ニモマケズ」の「デクノボー」であったり、
自分の理想郷をトルストイの「イワンの馬鹿」を捩ってイヴァン王国と名付けたり、
童話「風の又三郎」では「最も愚鈍なるもの最も賢きものなり」と表現したり。
そして、本当の知性とはいったい何か、という答えを
常識的な「賢さ」の対極の中に見出そうとしたと思えるのです。
  
この「虔十公園林」という童話も、同じテーマを扱った作品と言えます。
杉を植えた虔十は皆から馬鹿にされるも、そこにこそ知性があった、
と描かれているように思います。
 
「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。

  たゞどこまでも十力の作用は不思議です。」
 
ここでいう「十力」とは、「仏に特有とされる十種の智力」のことでしょう。
人間には愚かと見えることも、仏の超越的な知性から見れば、
そのほんとうの意義が洞察されるということです。
 
宮沢賢治は、時に自分の署名を「Kenjü」と綴っていたらしいのですが、
「別名」を表記するに際して、「ケン」という音に、
「虔=つつしむ」または「謙=へりくだる」という字を当てていたようです。
つまり、主人公の名「虔十」(Kenjü)は、自分=「賢治」(ケンジュウ)の分身であり、
「虔=つつしむ」と「十力=十種の智力」を合わせたものだと考えられます。
そして、真の知性とは「虔=つつしむ」という生き方の中にこそ宿るのだ、
ということを名前の二文字に込めたのであろうと思うのです。
 
この童話の味わい深さに感動させられると共に、
真の「知性」「かしこさ」を象徴する題材として「杉の植林」が取り上げられたことを、
私は大変嬉しく、また心強く思いました。
「杉の真価を探る」ため、さらに学んでゆきたいと思います。
 
たにむらさん、ご紹介していただきありがとうごいざました。

(なお、今回の記事は、HP宮澤賢治の詩の世界を参考にさせていただきました。)

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2009年 3月 21日

杉の葉エキス 実践編。

カテゴリー 杉の文化研究所

今日は、杉の葉エキスの実践編をご紹介したいと思います。^^
 
その前に・・・
 
この記事を読まれた後、やってみようと思われた方は、
前回記事の「杉の葉エキスの摂取と減感作療法との違い」、
およびそのコメント欄のQ&A(必須)と、
前々回の「杉花粉症の特効薬?!」の記事をお読みください。
(くれぐれも、花粉が付着していないことをご確認の上でお試しくださいね。)
 
それでは実践レポートです。^^
 
①杉の葉先、15センチくらいを採取し、約50グラムを水道の水で埃を流す程度にさっと一洗いする。
  
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今回は、袋の右にある杉の葉を使用しました。
樹齢15~16年ほどの若木で、この春新しくのびた葉先の部分です。
枝部分が緑色をしています。
この先端の15センチほどを採取しました。↓
 
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花粉は全くないことがお分かり頂けると思います。
 
今回煎じた量はこのくらいです。↓
 
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②ホーローびきの深い鍋に杉の葉を入れ、杉の葉がかくれるようにたっぷりの水で煮る。
 
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(最初は青々としています。煎じはじめたばかりの、お湯が緑茶くらいの色になったとき、思わず味見をしました。
 これがミントティーのようで、とても美味しいのです。^^ 効果はあまりないと思いますが・・・)
 
③一方、お湯を沸かしてポットに入れておく。
 
④鍋は煮立ったら火は中火にし、沸騰状態で四時間煎じる。
  葉が常にお湯に浸かっているように、ポットのお湯を注ぎたしながら煎じる。

 
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(ガスコンロで沸騰させたあとは、ストーブの上にヤカンをいっしょにかけました。
 かなり茶色になってきます。部屋中に杉の香りが漂い、まるで森林浴をしているような清涼感。^^)
 
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そろそろ煎じるのは終了か、といったところです。↑
 
⑤四時間沸騰させたら火から下し、杉の葉を除き、五~六枚重ねたガーゼで濾す。
⑥別に小鍋で砂糖のシロップを作っておく。
⑦⑤の煎汁のうち、二合くらいをシロップで適宜に味つけして再び煎じる。

 
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できあがり!

 
みなさん気になる効果ですが・・・
毎食後妻に、盃一杯程度(15~20ml)服用してもらいました。
「自然に医力あり」のように三日で直った、ということはありませんでした。
でも、鼻水はかなり減ったようです。目のかゆみは楽になった程度。
つくったものは、試飲も含め一週間程でなくなりました。
またつくってほしい、と言われたので早速本日、杉の葉を採取しに行きました。
 
九州では、杉花粉から檜花粉への変わり目のようです。
これからも進捗状況をご報告したいと思います。

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2009年 3月 18日

「もくたろ」創刊。

カテゴリー 杉の文化研究所

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遅ればせながら本日は、先週の3月12日に創刊された『もくたろ』のご紹介と、創刊までの裏話などを書いてみたいと思います。^^

 
まずは、『もくたろ』という誌名の由来を、編集長である入澤美時さんの文章より抜粋します。
 
「木の家」「木という素材」に特化した季刊誌『もくたろ』を創刊する。
この雑誌は、サブタイトルに「つくる木の家、直す木の家」とあるように、
すべてのこれから家を新築しようとする人、増改築しようとする人に向けて、
「100年住める、木の家を建てたい」とのメッセージを送りたい。
 誌名の『もくたろ』とは、「もく」まさに「木」のこと、そして「たろ」はフィンランド語で「家」を意味している。
つまり、「木の家」そのものを指している。

  
今年の初めに書いたブログにも少し紹介しましたが、
入澤さんは「陶磁郎」(とうじろう)という季刊誌を14年前に創刊し、「」と「」をテーマに文化へと迫りました。
そして成果の一つが、北川フラムさんらと取り組まれた
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。
今や越後妻有は、世界屈指のモダンアートの聖地となっています。
 
鑑定団で知られる中島誠之助氏は、
2006年冬に終刊となった「陶磁郎48号』対談記事の締めにこう語っています。
 
「まあ将来ね、古本屋の店頭で、『陶磁郎』の一号から四八号まで揃ったやつは、高価な値段で取り引きされるだろうと思うよ。私の本棚にも並んでるけど、それは一つの歴史でね。どこを取っても全部読める、新鮮だから。いまだに座右の書でもって、取ってあるよね。それには四八号くらいがちょうどいいな。一〇〇号では多すぎるなあ(笑)。」

  
入澤さんとはじめてお会いしたのは、一昨年の5月に遡ります。
筑波に安藤先生を訪ねた際、偶然にも田中文男棟梁と再会することがありました。
お会いしたのは筑波山麓「六所(ろくしょ)の家」。
六所という集落に残った廃墟のような最後の茅葺民家。
それが安藤先生と里山建築研究所により再生されたのでした。
家主は、東京銀座に仕事場を持つ編集者。
読書好きの都会人だが、渓流釣りの趣味も極める、入澤さんでありました。
   
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たまたまその日は、田中文男棟梁と「住宅建築」誌の平良編集長が視察と取材にお見えだったのでした。
詳しくは、「住宅建築」誌2008年3月号に特集されています。
このとき驚いたことがもう一つありました。
それは、私の座右の書である「現代棟梁 田中文男」(INAX出版)を編集されたのが、
その場にいらっしゃった入澤さんの奥様であったことです。
私がお付き合いさせていただいている方々は、田中文男棟梁にご縁の深い方ばかりだなぁ、
と感動し、感謝の気持ちで胸一杯になったのを覚えています。

 
それからしばらく経った昨年の9月中旬、安藤先生より一本の電話が入りました。
木の家をテーマに雑誌を創刊したいという友人がいる、話がしたい、と。
翌週、「住宅建築」誌400号記念パーティに出席するため上京を予定していた私は、
一日早く、筑波の「六所の家」にお伺いすることにしたのでした。

入澤さん、安藤先生とは、翌日まで話し込むことになりました。
そのとき聞いた雑誌のテーマは「」と「」。
ワクワクした気持で私は筑波を後にしたのです。
  
そして昨年の10月24日、
木挽棟梁が語る森林の向こう側」というミニシンポに向かう車中で、安藤先生より電話が入りました。
その後、珍しく声高の入澤さんと換わりました。
雑誌創刊が決まり、『もくたろ』という名前になったこと、
第一特集は「板倉の家」、第二特集が「筑後川」に決まったこと、などを聞かされます。
嬉しくてハイテンションとなった私は、勇み足で講演会場へと向かったのでした(笑)
  
(以下、筑後川特集の冒頭文より。文:安藤邦廣、佐々木香)
 
利根川、吉野川とともに
日本三大河川といわれる筑後川は、
阿蘇と九重の山々から流れ出し、
有明海に注ぐ流程143㎞の九州第一の大河である。
日田を中心とした上・中流域が
杉林一色に染まったのは大正時代からで、
「日田の底霧」と呼ばれるように温暖多雨の気候は、
スギだけでなくさまざまな産物を育んできた。
筑後川流域をさらに特徴づけているのは、
棚田と杉皮に被われた茅葺き民家の
懐かしくも美しい集落風景である。
ヨシ原やクリークを含めたこの豊饒な筑後川を、
食を通し、家づくりを通し、風景を通し、
多様な暮らしの姿を追って、
上流の津江地域から下って旅をした
。』
 

入澤さんは創刊にあたっての文章を、次のように締めています。
 
「私たちは、この列島に遥かなる祖先がたどりついてからの、
そして縄文時代からの、「木の遺伝子」を背負っている。
だからこそ、木に囲まれていると、心地よくなるのだ。
 林業というものが、たとえGDPの0.1%であろうと、
私たちがこの「生命記憶」と「木の遺伝子」を背負っているかぎり、なくなることはない。
そして、地域・地方再生の起爆剤たり得るのである。
 そのためには、「木の家」に「板倉の住まい」に、手で触れ、肌で感じ、匂いをかぐこと。
人にとっての根源性に、なじむこと。その根源性が、「擦過」を生む。
その根源性が、超え出ること、つまり未来の根源なのである。
 「木の家」「板倉の住まい」は、私たちにとってそこまでの大きな意味合いと可能性を、秘めている。」

 
みなさんに、『もくたろ』を手にとっていただきたいと願います。
そしてお気に召されましたら、これからも応援をよろしくお願いしたいと思います。

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2009年 3月 13日

杉の葉エキスの摂取と減感作療法との違い

カテゴリー 杉の文化研究所

先日ご紹介しました「杉花粉症の特効薬」についてこんなご質問をいただきました。

最近、杉の飴とかお茶が、自然食品店の花粉症対策コーナーにあります。
この本から着想を得てるのかもしれませんね。
煮出す杉の穂先は、今の時期だとたっぷり花粉がついてるでしょうね。
取りに行くのに、くしゃみ連発しそうです!

 
このようなご質問は、本当に有り難いものです。整理されると共に理解を深めてくれます。

じつを言いますと、私はすでに試作し、妻や子供に服用させ経過を観察しているところです。
(詳しくは、薬効に自信が持てた時、「実践編」としてご紹介いたします。)
杉エキスを採取する葉先は、樹齢15年ほどの木の、この春に新しくのびた部分を使用しました。
実物を見る方は少ないと思いますが、
煮出す杉の穂先には花粉がまったくありません。↓

 
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アレルギーの治療では、
微量のアレルゲンを長期にわたり注射で体内に入れながらアレルゲンに慣れさせる、
「減感作療法」という治療法があります。

 
今回の手法は、この減感作療法とは異なったものです。
 

「杉」なので誤解を招きやすいのですが、
今回の煎じ薬はあくまで杉の葉の中にあると思われる、
鼻炎・喘息・慢性気管支炎に効く成分を抽出するところに目的があります。
 

なお、杉花粉がついた葉を使用する場合は、くれぐれもご注意ください。
 

一昨年、杉花粉をカプセル充填した健康食品を摂取した女性が、
アナフィラキシー様ショック(全身性のアレルギー反応)で意識不明になり入院した
との健康被害があったようです。
そこで、厚労省もスギ花粉を含む食品に対し注意喚起↓をしています。

 
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/hokenkinou/sugikafun.html
 

このため、採取した杉の葉は、丁寧に水洗いして使用しました。
 

とはいいましても、「取りに行くのにくしゃみ連発」は避けられません(笑)
もし、つくってみたいという方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
私が使用したものと同じ杉の葉をお送りいたします。
薬効を確認したいので、あと2~3日お待ちくださいね。^^
 
(注)この記事のコメント欄に、補足する内容のQ&Aがあります。
   そちらのほうもぜひご覧ください。

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2009年 3月 05日

杉花粉症の特効薬?!

カテゴリー 杉の文化研究所

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このところ、杉に関する書籍・古書を購入しています。
今日は、「自然に医力あり」(槇佐知子著・1997年初版)より、
杉花粉症の薬を自分でつくれるという興味深い文章を要約してご紹介したいと思います。
 

その前に、みなさん「医心方」という医学全書をご存知でしょうか?
「医心方」というのは、鍼博士の丹波康頼が、今から千年以上前の永観二年(984年)、
中国の二百三の文献から選集した医学全書。国宝に指定され、
世界的文化財といわれながら現代語訳がなく「幻の名著」とされる。
その「医心方」を全訳し出版されている方がこの本の著者なのです。
 

(以下、杉花粉特効薬に関する部分のみ要約にて引用)
 

杉花粉症の特効薬発見には、著者の息子さんの花粉症がきっかけとなる。
古今の文献を調べていると、現代中国の臨床実験報告の中に、
スギは喘息・慢性気管支炎・鼻炎の薬としての効能があると知る。
ところが中国でのスギとは紅葉杉(こうようざん)であり、日本の「杉」ではない。
とはいえ、息子の花粉症は日本の杉花粉が原因なのだから、と試してみることにした。
文献に作り方など詳細は書かれていないが、以下の要領でつくる。
 
①杉の葉先、15センチくらいを採取し、約50グラムを水道の水で埃を流す程度にさっと一洗いする。
②ホーローびきの深い鍋に杉の葉を入れ、杉の葉がかくれるようにたっぷりの水で煮る。
③一方、お湯を沸かしてポットに入れておく。
④鍋は煮立ったら火は中火にし、沸騰状態で四時間煎じる。
  葉が常にお湯に浸かっているように、ポットのお湯を注ぎたしながら煎じる。
⑤四時間沸騰させたら火から下し、杉の葉を除き、五~六枚重ねたガーゼで濾す。
⑥別に小鍋で砂糖のシロップを作っておく。
⑦⑤の煎汁のうち、二合くらいをシロップで適宜に味つけして再び煎じる。

 
 
味見をしていたら、何だか鼻孔がすうっと開いたような気がした。
それまで自覚しなかったが、私も鼻づまり気味だったのだろう。
息子に試してみると、
「きれいな色だね。飲んでみるよ。」
そして「いけるね。おいしかった。」
それから三日間、食後の服用を続けると、鼻の下の爛れもすっかり治る。
その時は、花粉症も終わる頃だったのでは、と思ったが、翌年も、その翌々年も再発しない。
その翌年は再発するも一回服用しただけでまた治った。
 
 
何年か前に杉の葉エキスのことを発表した時は、
「東京新聞」生活部の安井禮子記者が取材に来て一緒にエキスを作ったあと、
原料の葉を持ち帰り、自宅で再現してお嬢さんの鼻炎で試してから記事にした。
「追跡」というTV番組の取材もあって、花粉学会でも話題となった。
 
 
煎汁は、疥癬や湿疹といった皮膚病、関節痛や挫傷にも効くとされる。
何よりも香りが良いので私は入浴剤代りに煎じて茶色になった葉も、
洗濯用のネットに入れ、煎汁と一緒に風呂に入れる。
すると新湯でもなめらかで刺激がなく、森林浴と入浴が一緒にできるのがうれしい。
 
 
最近、開業医の方から
「漆器の職人さんは、跡継ぎにする子供が生まれると、
赤ちゃんのころから少しずつ漆を与えて、かぶれないよう抵抗力をつけるという。
杉花粉症に杉の葉エキスを服用するのも、理に叶っていると思う。製法と服用法を教えてほしい」
とお手紙をいただいた。
 
 
(要約引用 終わり)
 
 
このあとは・・・
身の回りは、台所用品も家庭用品はなにもかも杉ばかり。
産湯のたらいに始まり、手桶、ひしゃく、釜や鍋蓋、おひつ。
漬物樽、味噌・醬油樽、酒樽、酒枡、洗い桶、洗濯板、しゃもじ、お箸。
と口をつけるものも身につけるものも、杉を使っていたという回想がつづきます。
その後、堂々とした杉の文化論が述べられます。
 
 
花粉症をなくすために「杉を伐採して他の木を植えよう」という意見もあるが、とんでもないことである。
 
 
「杉が立ち枯れるのは凶事の起こる前兆」という言い伝えがある。
杉を花粉症の元凶と見るのではなく、杉と共存する方法を考えるべきではないだろうか。

 
 
ちなみに、
著者の「槇佐知子」とはペンネームで、本名は「杉山多加子」だとWikipediaで知りました。
私もそうですが、姓に「杉」がありますね(笑) 著者の杉に対する思いは相当なものだと思います。
 
 
最後に・・・
(なお、口当たりがいいので飲みすぎないよう、食後に盃一杯程度に留めていただいたい。)
とあります。ご注意を!^^

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