2009年
4月
23日

4月20日(月)、以前からお会いしたかったkemiさんとの初対面の後、
神田明神をご案内して頂きました。そこには、ご縁のある仲間9名が集いました。
(詳しくはたにむらさんのブログを。^^)
お集まりになる皆さんに、何か自分でつくったものを差し上げたいな・・・
と思いできあがったのが8つの杉の赤身の勾玉でした。
というわけで先週は、隙間時間を見つけては木を削っていたのです。^^

名付けて!「スキアカミノマカタマ」(杉赤身勾玉)
(以下、プレゼントに添えた説明書きより抜粋)
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勾玉は縄文中期より見られる日本独自のディテイルで、
『三種の神器』《八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)》の一つに数えられています。
儒学では、鏡「知」・勾玉「仁」・剣「勇」の三つで三徳といわれます。
「日(陽)」を表す八咫鏡に対し「月(陰)」を表すという説もありますが、出雲風土記によると、
太陽と月が重なりあった形を表し両方の恩恵を受けるとされます。
八尺瓊勾玉は、三種の神器の中で唯一皇居御所にあるといわれます。
八尺は大きさ(尺は咫との説あり)、「瓊(に)」は赤色の玉のことです。
勾玉は、もともと古代語で「マカタマ」と呼ばれていて、
「マ」は人の上に立ち名を知られる象、また争いを避けるという意、
「カ」は陽気で盛んな象、運氣強く神の助けありなどの意があるのです。
ちなみに古代サンスクリットで「マカ」は、優れていること、大きいこと、
偉大なこと、勝利などの意があります。
今回は杉の赤身材で勾玉をつくってみました。
吉野ヶ里公園で体験した子どもたちとの勾玉つくり後、
木でつくれないのかと尋ねられたのがきっかけとなりました。
手に取っていただけば、その軽さに驚かれると思います。
つぎに温かさ、柔らかさ、掌の汗を吸い取る清々しさなどをお感じになるでしょう。
ぜひ味わっていただきたいのは、その香りです。
香りが少なくなった場合は、同封のペーパーで少しお削り下さいませ。
江戸時代、オランダ人医師シーボルトは、勾玉の研究をしています。
著書「日本」に<教養ある日本人が好んで思いをはせるもの>と書き出しで記されています。
あなたのお気に召すことを心より祈っております。
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何気に思いついた勾玉作りですが、調べるほどにその奥深さに引き込まれていきます。
勾玉は、漢字で表わすと「巴」(ともえ)です。
私の住所は、朝倉市杷木。合併前は朝倉郡杷木町でした。
「杷」という字は、「木」偏につくりが「巴」、つまり木でつくった勾玉と解釈しても良いわけで・・・(笑)
すみません、話は冒頭に戻ります。
kemiさんにご案内いただいた神田明神は、本当にこの「巴」だらけでした。

建物のいたるところに・・・

お賽銭箱にも・・・

鳥居前のお菓子屋さんはそのものズバリ・・・(笑)
巴が二つだと道教(タオイズム)の太極図となります。
こちらで見られる巴は基本的に「左三つ巴(みつどもえ)紋」です。
「左三つ巴紋」といえば、高野山真言宗紋を思い出します。
http://www.koyasan.or.jp/
空海は讃岐の豪族佐伯直田の三男で、「巴紋」は佐伯家の家紋でもあります。
天皇から弘法大師の称号を下賜されたときに天皇家の家紋「五三の桐紋」を許され、
「五三の桐紋」と「左三つ巴紋」の二つで高野山真言宗紋となるのです。
この日のちょうど1年前の4月20日、私は高野山奥の院に行っていました。
またこの前日、高野山と縁の深い方とお会いして、不可思議な体験をしたばかり。
いろいろなことがシンクロしています。なんだか楽しい毎日です。^^
一昨日私は、松岡正剛氏が主宰される「ISIS編集学校」に入門しました。
そのことを次回はアップしたいと思います。
kemiさん、すっかりお世話になりました。
アスター銀座のランチがとても美味く楽しい時間でした。
ご縁に感謝します。ありがとうございました。拝
2009年
4月
15日

「杉の文化研究所」というカテゴリーをつくってふた月近くなりました。
ひと月以上前になりますが、このブログにいつもあたたかいコメントを
寄せてくださる「たにむら」さんより、このようなメールをいただきました。
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ご存知かもしれませんが、
宮沢賢治の童話にも杉苗を植える話があります。(虔十公園林)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4410_26676.html
この話を知ったのは、ますむら・ひろし氏のイーハトーブ乱入記です。
ますむら氏は、この話について
「宮沢賢治は、現実の学校教育と<激突>していたのだ」
と、書いています。
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私はそのとき初めて、虔十公園林(けんじうこうえんりん)を読みました。
短い童話なのでぜひ読んで頂きたいのですが、内容を要約しますと・・・
「虔十」は今で言えば知的障害のある人で、周囲の人から馬鹿にされたりからかわれたりしていました。
ところがある時、なにを思ってか野原に杉の苗を植えます。すると後年、そこはすばらしい杉林となって、
町のみんなの心のよりどころとなったのでした、
というようなお話です。
宮沢賢治は、本当の「知性」そして「賢さ」とは何か、という主題を
生涯にわたって何度も作品の中で追求したように思います。
それは、「雨ニモマケズ」の「デクノボー」であったり、
自分の理想郷をトルストイの「イワンの馬鹿」を捩ってイヴァン王国と名付けたり、
童話「風の又三郎」では「最も愚鈍なるもの最も賢きものなり」と表現したり。
そして、本当の知性とはいったい何か、という答えを
常識的な「賢さ」の対極の中に見出そうとしたと思えるのです。
この「虔十公園林」という童話も、同じテーマを扱った作品と言えます。
杉を植えた虔十は皆から馬鹿にされるも、そこにこそ知性があった、
と描かれているように思います。
「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。
たゞどこまでも十力の作用は不思議です。」
ここでいう「十力」とは、「仏に特有とされる十種の智力」のことでしょう。
人間には愚かと見えることも、仏の超越的な知性から見れば、
そのほんとうの意義が洞察されるということです。
宮沢賢治は、時に自分の署名を「Kenjü」と綴っていたらしいのですが、
「別名」を表記するに際して、「ケン」という音に、
「虔=つつしむ」または「謙=へりくだる」という字を当てていたようです。
つまり、主人公の名「虔十」(Kenjü)は、自分=「賢治」(ケンジュウ)の分身であり、
「虔=つつしむ」と「十力=十種の智力」を合わせたものだと考えられます。
そして、真の知性とは「虔=つつしむ」という生き方の中にこそ宿るのだ、
ということを名前の二文字に込めたのであろうと思うのです。
この童話の味わい深さに感動させられると共に、
真の「知性」「かしこさ」を象徴する題材として「杉の植林」が取り上げられたことを、
私は大変嬉しく、また心強く思いました。
「杉の真価を探る」ため、さらに学んでゆきたいと思います。
たにむらさん、ご紹介していただきありがとうごいざました。
(なお、今回の記事は、HP宮澤賢治の詩の世界を参考にさせていただきました。)
2009年
4月
14日

前回はたくさんのコメントありがとうごいざました。
今日は、「筑紫次郎の家」建物完成見学会のご報告をさせていただきます。
せっかくですので、写真を中心にやってみたいと思います。^^

リビングルームにてオープンキッチンを見る

ウッドデッキよりリビングルームを振り返る

階段室よりリビングルームと一繋がりの和室を見る

階段室より軒下を見る

景色が眺められる風呂&脱衣場

洗面室からトイレ

寝室 トップライト(天窓)から入る光

最後に棟上げのときと同アングルにて。^^
おかげ様で見学会はたくさんの方々にお越しいただいたようです。
昨日、建築工房悠山想主宰、宮本繁雄親方よりメールをいただきましたので、
そのまま引用し、ご報告に代えさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
(親方お疲れさまでした!^^)
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杉岡様へ。
完成見学会の報告です。
約40組、約100名余の来場者でした。
星野という地域の魅力もあり、家族でお見えになりました。
ほとんどがOB客ですが、他に学生、設計者の来場がありました。
悠山想にての最初の施主の方も来場されました。
昨年、病気にて車いすの生活となられたのですが、
不自由な体をおして来て頂き感動しました。
20年経ってもまだ新鮮ですとの言葉をかけてもらったのです。
自分の仕事を応援して頂きました。
昨日は、私を応援する為にかけ付けてくれた人達ばかりでした。
皆さんから元気をもらいました。
アンケートの中で、私が気になっている事を指摘されていましたので、抜粋します。
「国産材の家は、杉が多く、野趣あふれる感じ(木がうるさい)が苦手ですが、
こちらは上品で良いと感じました。」
この事は、私も感じていまして、産直の家とか、伝統の家とか、名を打った場合
木を沢山使えばそれでよしみたいなところがあります。
疲れるデザインになる傾向が多いのです。
昨年、民家塾にて訪れた池田武邦先生の邦久庵は伝統的な茅葺き民家ですが、
これは上品でした。
この差は何かと問えばの話になるのでしょうが、
森林総研の宮崎良文先生にいきつくかもしれませんし、
「縄文の遺伝子」は「木」だけではなく、木にも色々あるし、
土もある、火もある、「森の生活の遺伝子」なのでしょう。
杉岡さんへの御礼。
杉岡さんが背中を押してくれましたので、
見学会を催すことが出来ました。
OB客が多く、同窓会の雰囲気でした。
本当に同窓会をやろうかと思いました。
悠山想にて、家を建てたという共通項だけの同窓会です。
皆さんから元気を頂きました。
色々と御尽力くださり、ありがとうございました。
星野の空と新緑のように、心さわやかです。
宮本拝
2009年
4月
08日

(今から5か月前、上棟日の星野村W邸)
今週末の4月12日(日)10時~17時、福岡県星野村にてW邸の完成見学会が催されます。
この家は、3月12日創刊された季刊誌『もくたろ』にも建設現場が紹介されています。
棟梁である建築工房悠山想(ゆうざんそう)の宮本繁雄さんは、私の「木挽棟梁」の名付け親であり、
伝統構法の師匠であり、筑後川流域の木と土と職人でつくる「筑紫次郎の家」の協働者でもあります。
「筑紫次郎の家」のことを少しご説明しますと・・
筑紫次郎(つくしじろう)とは筑後川のこと。
つまり、筑後川流域の素材と職人技術による家づくり、を目指しそう呼ぶことにしました。
基本的な考え方は九つあります。
一、「木の家」の普及
二、増改築にも「木」
三、「スギ」の活用
四、地元の材で、地域・地方を活性化
五、職人技による伝統構法
六、床、建具も木、壁も自然素材で
七、土間、縁側をつくる
八、薪ストーブ、囲炉裏を取り入れる
九、太陽熱の恩恵を取り入れる
(詳しくは、こちらをご覧ください。)
宮本さんとは、お付き合いして8年ほどになりますが、
これまで悠山想の完成見学会が開催された記憶がありません。
今年は悠山想設立20年目という節目にもあたるようですし、
親方も気合が入っているのでしょうね(笑)
最後に・・・
宮本さんからいただいた案内状の一部を抜粋しご紹介します。
「このたび20年目の節目とし、これからを目指す思いの中で、
「星野」にて完成見学会を催すことと致しました。
施主であるWさんとは、飲み友達、遊び友達で、
気持ちよく会場を提供して頂きました。
星野における現代民家と思っているのですが、どうでしょうか。
星野は良い所です。よい季節です。足をのばしてみてください。
12日にお逢いできるのを楽しみにしております。
宮本繁雄」
現地地図などはこちらをご覧くださいませ。
悠山想の家づくりにご興味ある方は、↓「職人がつくる木の家ネット」の現場レポートをご一読下さい。
「古びない家とは? 建築工房・悠山想」
2009年
4月
02日

一昨日(3月31日火曜日)の夕方、信じられない電話が入りました。
先日ご紹介した季刊誌「もくたろ」の編集長である入澤美時さんが急逝されたというのです。
しばらく言葉が出ませんでした。食道癌で闘病中であるとは伺っていましたが、
一週間前に電話でお話ししたばかりだったのですから。
「もくたろ」の創刊が3月12日。
その19日後、緊急入院して3日目の3月31日、永眠。
創刊にあたって書かれた、
『もくたろ』創刊と「板倉の住まい」
が絶筆なのかもしれません。
この二日間、長考しています。
入澤さんの死を私の中にどう意味付けすればよいか、
そこに意図せざるメッセージがあるのではないか、
入澤さんが書いた文章をいろいろと読みながら
今、頭の中の棚卸をしています。
いつまで続くかわからない命。
日一日を生き切り、
編集という仕事に魂を込める。
命と引き替えた「もくたろ」に
氏は何を託したのだろうか。
昨年12月、筑後川特集の取材の後、こんな手紙をいただきました。
「杉岡様
先日は、お身体を壊していたにもかかわらず、
本当に、本当に、ありがとうございました。
筑後川の取材は、これも本当に楽しい取材でした。
お手数をおかけしました。
田籠、新川を含め、杉岡さんの関わる周辺・空間には、
日本における新たな「地域というものの胎動」を感じました。
可能性を感じました。それは、これから当方がやらねば
ならない課題とまさに、重なっています。
たまたま、10月の末に、そのことを正面に据えた本を
出版しました。一冊、お送りしますので、ぜひお読みください。
今後とも、共同・協働してさまざまな展開をしていきたいと
思っております。
二〇〇八年一二月二二日
入澤美時 」
そして、”そのことを正面に据えた本”
「東北からの思考」(入澤美時・森繁哉 共著)が同封されていました。
明後日、告別式に参ります。
行き帰りの道中は、同著を再度、精読するつもりでいます。
入澤さんから突き付けられた「やらねばならない課題」をこれから
いろんな方と共同・協働し、さまざまな展開をしていきたいと思います。
入澤さん、短くも深いお付き合いでしたね。
本当にありがとうございました。
合掌
最後に・・・
昨日、入澤さんの遺言ともいえる文章がWEB上にあることを知りました。
http://www.slownet.ne.jp/sns/area/life/reading/interview/200902010942-9275541.html
私のブログを読んでくださるのというも何かのご縁。
お時間があるときにでも、ぜひ一度読んでいただきたいと願います。
2009年
3月
18日

遅ればせながら本日は、先週の3月12日に創刊された『もくたろ』のご紹介と、創刊までの裏話などを書いてみたいと思います。^^
まずは、『もくたろ』という誌名の由来を、編集長である入澤美時さんの文章より抜粋します。
「木の家」「木という素材」に特化した季刊誌『もくたろ』を創刊する。
この雑誌は、サブタイトルに「つくる木の家、直す木の家」とあるように、
すべてのこれから家を新築しようとする人、増改築しようとする人に向けて、
「100年住める、木の家を建てたい」とのメッセージを送りたい。
誌名の『もくたろ』とは、「もく」まさに「木」のこと、そして「たろ」はフィンランド語で「家」を意味している。
つまり、「木の家」そのものを指している。
今年の初めに書いたブログにも少し紹介しましたが、
入澤さんは「陶磁郎」(とうじろう)という季刊誌を14年前に創刊し、「土」と「火」をテーマに文化へと迫りました。
そして成果の一つが、北川フラムさんらと取り組まれた
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。
今や越後妻有は、世界屈指のモダンアートの聖地となっています。
鑑定団で知られる中島誠之助氏は、
2006年冬に終刊となった「陶磁郎48号』対談記事の締めにこう語っています。
「まあ将来ね、古本屋の店頭で、『陶磁郎』の一号から四八号まで揃ったやつは、高価な値段で取り引きされるだろうと思うよ。私の本棚にも並んでるけど、それは一つの歴史でね。どこを取っても全部読める、新鮮だから。いまだに座右の書でもって、取ってあるよね。それには四八号くらいがちょうどいいな。一〇〇号では多すぎるなあ(笑)。」
入澤さんとはじめてお会いしたのは、一昨年の5月に遡ります。
筑波に安藤先生を訪ねた際、偶然にも田中文男棟梁と再会することがありました。
お会いしたのは筑波山麓「六所(ろくしょ)の家」。
六所という集落に残った廃墟のような最後の茅葺民家。
それが安藤先生と里山建築研究所により再生されたのでした。
家主は、東京銀座に仕事場を持つ編集者。
読書好きの都会人だが、渓流釣りの趣味も極める、入澤さんでありました。

たまたまその日は、田中文男棟梁と「住宅建築」誌の平良編集長が視察と取材にお見えだったのでした。
詳しくは、「住宅建築」誌2008年3月号に特集されています。
このとき驚いたことがもう一つありました。
それは、私の座右の書である「現代棟梁 田中文男」(INAX出版)を編集されたのが、
その場にいらっしゃった入澤さんの奥様であったことです。
私がお付き合いさせていただいている方々は、田中文男棟梁にご縁の深い方ばかりだなぁ、
と感動し、感謝の気持ちで胸一杯になったのを覚えています。
それからしばらく経った昨年の9月中旬、安藤先生より一本の電話が入りました。
木の家をテーマに雑誌を創刊したいという友人がいる、話がしたい、と。
翌週、「住宅建築」誌400号記念パーティに出席するため上京を予定していた私は、
一日早く、筑波の「六所の家」にお伺いすることにしたのでした。
入澤さん、安藤先生とは、翌日まで話し込むことになりました。
そのとき聞いた雑誌のテーマは「木」と「水」。
ワクワクした気持で私は筑波を後にしたのです。
そして昨年の10月24日、
「木挽棟梁が語る森林の向こう側」というミニシンポに向かう車中で、安藤先生より電話が入りました。
その後、珍しく声高の入澤さんと換わりました。
雑誌創刊が決まり、『もくたろ』という名前になったこと、
第一特集は「板倉の家」、第二特集が「筑後川」に決まったこと、などを聞かされます。
嬉しくてハイテンションとなった私は、勇み足で講演会場へと向かったのでした(笑)
(以下、筑後川特集の冒頭文より。文:安藤邦廣、佐々木香)
『利根川、吉野川とともに
日本三大河川といわれる筑後川は、
阿蘇と九重の山々から流れ出し、
有明海に注ぐ流程143㎞の九州第一の大河である。
日田を中心とした上・中流域が
杉林一色に染まったのは大正時代からで、
「日田の底霧」と呼ばれるように温暖多雨の気候は、
スギだけでなくさまざまな産物を育んできた。
筑後川流域をさらに特徴づけているのは、
棚田と杉皮に被われた茅葺き民家の
懐かしくも美しい集落風景である。
ヨシ原やクリークを含めたこの豊饒な筑後川を、
食を通し、家づくりを通し、風景を通し、
多様な暮らしの姿を追って、
上流の津江地域から下って旅をした。』
入澤さんは創刊にあたっての文章を、次のように締めています。
「私たちは、この列島に遥かなる祖先がたどりついてからの、
そして縄文時代からの、「木の遺伝子」を背負っている。
だからこそ、木に囲まれていると、心地よくなるのだ。
林業というものが、たとえGDPの0.1%であろうと、
私たちがこの「生命記憶」と「木の遺伝子」を背負っているかぎり、なくなることはない。
そして、地域・地方再生の起爆剤たり得るのである。
そのためには、「木の家」に「板倉の住まい」に、手で触れ、肌で感じ、匂いをかぐこと。
人にとっての根源性に、なじむこと。その根源性が、「擦過」を生む。
その根源性が、超え出ること、つまり未来の根源なのである。
「木の家」「板倉の住まい」は、私たちにとってそこまでの大きな意味合いと可能性を、秘めている。」
みなさんに、『もくたろ』を手にとっていただきたいと願います。
そしてお気に召されましたら、これからも応援をよろしくお願いしたいと思います。
2009年
3月
13日
先日ご紹介しました「杉花粉症の特効薬」についてこんなご質問をいただきました。
最近、杉の飴とかお茶が、自然食品店の花粉症対策コーナーにあります。
この本から着想を得てるのかもしれませんね。
煮出す杉の穂先は、今の時期だとたっぷり花粉がついてるでしょうね。
取りに行くのに、くしゃみ連発しそうです!
このようなご質問は、本当に有り難いものです。整理されると共に理解を深めてくれます。
じつを言いますと、私はすでに試作し、妻や子供に服用させ経過を観察しているところです。
(詳しくは、薬効に自信が持てた時、「実践編」としてご紹介いたします。)
杉エキスを採取する葉先は、樹齢15年ほどの木の、この春に新しくのびた部分を使用しました。
実物を見る方は少ないと思いますが、
煮出す杉の穂先には花粉がまったくありません。↓

アレルギーの治療では、
微量のアレルゲンを長期にわたり注射で体内に入れながらアレルゲンに慣れさせる、
「減感作療法」という治療法があります。
今回の手法は、この減感作療法とは異なったものです。
「杉」なので誤解を招きやすいのですが、
今回の煎じ薬はあくまで杉の葉の中にあると思われる、
鼻炎・喘息・慢性気管支炎に効く成分を抽出するところに目的があります。
なお、杉花粉がついた葉を使用する場合は、くれぐれもご注意ください。
一昨年、杉花粉をカプセル充填した健康食品を摂取した女性が、
アナフィラキシー様ショック(全身性のアレルギー反応)で意識不明になり入院した
との健康被害があったようです。
そこで、厚労省もスギ花粉を含む食品に対し注意喚起↓をしています。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/hokenkinou/sugikafun.html
このため、採取した杉の葉は、丁寧に水洗いして使用しました。
とはいいましても、「取りに行くのにくしゃみ連発」は避けられません(笑)
もし、つくってみたいという方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
私が使用したものと同じ杉の葉をお送りいたします。
薬効を確認したいので、あと2~3日お待ちくださいね。^^
(注)この記事のコメント欄に、補足する内容のQ&Aがあります。
そちらのほうもぜひご覧ください。
2009年
3月
12日
今日は祖父の命日です。
以前ご紹介したおじいちゃんの木がある山へ行き、「老松」という日本酒をかけ祈りを捧げて参りました。
また本日は、企画に参加させていただいた「もくたろ」という雑誌の創刊日でもあります。
(木の家にスポットをあてた雑誌で、32頁に亘る「筑後川」特集をぜひご覧いただきたいと思います。)
せっかくのメモリアルな日ですから、「木挽棟梁の木を活かす知恵」というカテゴリーをつくり、
これまで講演などでお話ししてきたことなどを、文章化していこうと思います。

1.子孫に美林を残す
祖父は自他共に認める山好きな人でした。
幼少の頃の休日は、朝5時頃起床で山に連れて行かれました。
せっかくの休みなのに、早朝に起こされるので、友達と遊べません。
山に行く前の日は、億劫でたまりませんでした。
でもいざ着いてみると、木立に差込む光、冴え冴えとした空気。
鳥の鳴き声に虫の音。小川の水は冷たく甘い。
カサコソと野生動物の気配を感じては、猪、鹿、兎、雉と出会う。
昼飯が近くなれば小枝を探し、鉈でお箸を作り、母のにぎり飯を堪能。
結構楽しい思い出ばかりです。
山遊びがほとんどでしたが、少しは仕事にも貢献しました。
「よ~ぃっ!」と呼ばれると、声のする山師さんの下へ、
水筒や機械油を走って運んだものです。
祖父は60歳のころ(私が生まれた時期)から禿山を買い始めたと聞きます。
第二の人生として、そこに植林していくことをライフワークとしたようです。
山が道楽だったのでしょう。
仕事がなくても山に行っては、立木に尺を回し、
太ったな、伸びたな、と目を細め私にこう言いました。
「おまえが俺ん歳になりゃあ、こん木も、えらいもんになっちょるざい。」

(朝倉市内にある所有林。50年前、自宅を建てる際に伐採し植林された杉山。
祖父が若い頃初めて購入した山でもある。)
祖父が「山好き」ならば、父は「木好き」と言えるかもしれません。
父は銘木と呼ばれるような大木を全国から買い集めてきました。
国鉄(当時)の貨物列車でやってきた、天竜や吉野の山からの巨木は雪が被っていました。
家と同じ敷地内にある土場(どば)には、私の背丈を凌ぐ直径をした丸太が並び、
大木がまるでピラミッドのように、うず高く所狭しと積んでありました。
自宅は木組と土壁の和風建築。
そこに使われた木材は、自分の山のスギの木を伐り用立てたといいます。
建てた翌年に植林しているので、その山の木の樹齢と家の年齢はほぼ同じです。
ちょっと古くなってきた家の木と、生き生きとした山の木は不思議な対比です。
まあこのように、どこにいても木に囲まれた幼少期を送りました。

家業がある家の長男に生まれた人間は、継ぐかどうかプレッシャーを受けながら育つものです。
大学を出ると私は、継ごうとはせず印刷会社に就職し5年働きました。
でも木に囲まれた幼少期を送ったからでしょうか。
入社して4年目、印刷物の仕事だけにとどまらず、クライアントに木造建築を提案しました。
企画としての評価は受けたものの、建築まで請負うことはできません。
このころから、建築企画という仕事への思いが日に日に強くなりました。
経済学部出身の私は、生い立ちから縁のある木を武器に、
建築に関わってみたいと思うようになり決断します。
28歳のとき、父は継げと言いませんでしたが、会社を辞め跡を継ぎました。
とはいっても、当時は痩せていて体力もなく、木の知識もない。
工場の仕事はきついだけで、自分に向いていないと後悔ばかりしていました。
さらに製材業は斜陽産業です。
私の地域の製材所は最も多いころから5分の1に激減しています。
ビジョンが見いだせないまま、先の見えない不安に押し潰されそうでした。
最近になってようやく、そのころのことが笑って話せます。
それでも、「子孫に美林を残せるか」と聞かれたら…
なかなか肯定的な返事をすることはできません。
山を維持するには、長い年月の管理が必要ですし
経済的にも時間的にも、私の代でさえ難しいと感じているからです。
それでも私は、祖父を真似てみたいと思うようになりました。
木に目を細めた祖父の眼差しを忘れたくないのです。

・40年前の祖父と私
2009年
3月
05日

このところ、杉に関する書籍・古書を購入しています。
今日は、「自然に医力あり」(槇佐知子著・1997年初版)より、
杉花粉症の薬を自分でつくれるという興味深い文章を要約してご紹介したいと思います。
その前に、みなさん「医心方」という医学全書をご存知でしょうか?
「医心方」というのは、鍼博士の丹波康頼が、今から千年以上前の永観二年(984年)、
中国の二百三の文献から選集した医学全書。国宝に指定され、
世界的文化財といわれながら現代語訳がなく「幻の名著」とされる。
その「医心方」を全訳し出版されている方がこの本の著者なのです。
(以下、杉花粉特効薬に関する部分のみ要約にて引用)
杉花粉症の特効薬発見には、著者の息子さんの花粉症がきっかけとなる。
古今の文献を調べていると、現代中国の臨床実験報告の中に、
スギは喘息・慢性気管支炎・鼻炎の薬としての効能があると知る。
ところが中国でのスギとは紅葉杉(こうようざん)であり、日本の「杉」ではない。
とはいえ、息子の花粉症は日本の杉花粉が原因なのだから、と試してみることにした。
文献に作り方など詳細は書かれていないが、以下の要領でつくる。
①杉の葉先、15センチくらいを採取し、約50グラムを水道の水で埃を流す程度にさっと一洗いする。
②ホーローびきの深い鍋に杉の葉を入れ、杉の葉がかくれるようにたっぷりの水で煮る。
③一方、お湯を沸かしてポットに入れておく。
④鍋は煮立ったら火は中火にし、沸騰状態で四時間煎じる。
葉が常にお湯に浸かっているように、ポットのお湯を注ぎたしながら煎じる。
⑤四時間沸騰させたら火から下し、杉の葉を除き、五~六枚重ねたガーゼで濾す。
⑥別に小鍋で砂糖のシロップを作っておく。
⑦⑤の煎汁のうち、二合くらいをシロップで適宜に味つけして再び煎じる。
味見をしていたら、何だか鼻孔がすうっと開いたような気がした。
それまで自覚しなかったが、私も鼻づまり気味だったのだろう。
息子に試してみると、
「きれいな色だね。飲んでみるよ。」
そして「いけるね。おいしかった。」
それから三日間、食後の服用を続けると、鼻の下の爛れもすっかり治る。
その時は、花粉症も終わる頃だったのでは、と思ったが、翌年も、その翌々年も再発しない。
その翌年は再発するも一回服用しただけでまた治った。
何年か前に杉の葉エキスのことを発表した時は、
「東京新聞」生活部の安井禮子記者が取材に来て一緒にエキスを作ったあと、
原料の葉を持ち帰り、自宅で再現してお嬢さんの鼻炎で試してから記事にした。
「追跡」というTV番組の取材もあって、花粉学会でも話題となった。
煎汁は、疥癬や湿疹といった皮膚病、関節痛や挫傷にも効くとされる。
何よりも香りが良いので私は入浴剤代りに煎じて茶色になった葉も、
洗濯用のネットに入れ、煎汁と一緒に風呂に入れる。
すると新湯でもなめらかで刺激がなく、森林浴と入浴が一緒にできるのがうれしい。
最近、開業医の方から
「漆器の職人さんは、跡継ぎにする子供が生まれると、
赤ちゃんのころから少しずつ漆を与えて、かぶれないよう抵抗力をつけるという。
杉花粉症に杉の葉エキスを服用するのも、理に叶っていると思う。製法と服用法を教えてほしい」
とお手紙をいただいた。
(要約引用 終わり)
このあとは・・・
身の回りは、台所用品も家庭用品はなにもかも杉ばかり。
産湯のたらいに始まり、手桶、ひしゃく、釜や鍋蓋、おひつ。
漬物樽、味噌・醬油樽、酒樽、酒枡、洗い桶、洗濯板、しゃもじ、お箸。
と口をつけるものも身につけるものも、杉を使っていたという回想がつづきます。
その後、堂々とした杉の文化論が述べられます。
花粉症をなくすために「杉を伐採して他の木を植えよう」という意見もあるが、とんでもないことである。
「杉が立ち枯れるのは凶事の起こる前兆」という言い伝えがある。
杉を花粉症の元凶と見るのではなく、杉と共存する方法を考えるべきではないだろうか。
ちなみに、
著者の「槇佐知子」とはペンネームで、本名は「杉山多加子」だとWikipediaで知りました。
私もそうですが、姓に「杉」がありますね(笑) 著者の杉に対する思いは相当なものだと思います。
最後に・・・
(なお、口当たりがいいので飲みすぎないよう、食後に盃一杯程度に留めていただいたい。)
とあります。ご注意を!^^