2009年 2月 09日
三十代最後の日、「思無邪」を思う。
ひさしぶりの更新です。
明日で、いよいよ40歳になります(笑)
毎年のことですが、誕生日が近づく度、論語のこの一節を思い出します。
『吾十有五而志于学。 三十而立。
四十而不惑。 五十而知天命。 六十而耳順。
七十而従心所欲。 不踰矩。 (爲政第二) 』
「吾十五にして学に志し三十にして立つ。
四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳に従う。
七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず。」
この詩を読みながら思います。
「孔子であっても40歳は、惑った時期なのではなかったか。。。」
少なくとも私には、一昨年の夏から一年間、とても惑った時期がありました。
でも当時、自覚症状はありませんでした。ところが昨年2月上旬のこと、
行きつけの美容室で円形脱毛症が二つもできていることがわかりました(笑)
毎日一冊の本を読み、煙草を止め、筋トレや気功など
生活習慣を一新して半年が過ぎた頃のことでした。
自己改革がうまくいっている、と思いこんでいたそのときの私は
「十円はげ」に正直、狼狽してしまいました(笑)
でも、思い当るところがありました。
**********************************************
これからの人生、今の仕事をつづけるべきだろうか?
自分の職能など時代は求めてないのではなかろうか?
自分が求めているものとは何なのだろうか?
自分が得意なこととは何なのだろうか?
自分が好きなこととはいったい何なのだろうか?
自分は何をするために生まれてきたのだろうか?
***********************************************
落ち着いて自分と対話してみると、
自己改革がうまくいっているなどとんでもなくて・・・(笑)
自信をまったく失っている状態にあったのです。
考えてみると理由は意外に単純なもの。
売り上げが思うように上がらないから、だったのだと思います。
「木青連フォーラムの準備に忙殺され、仕事を仕込むことができなかった・・・
建築基準法の新法施行に伴い着工戸数80%ダウン、といった建設不況が続き・・・」
反省したり、現状分析をしたりしてみても、今後どうすればよいのか見えません。
今思うと、弱気の虫にやられていたのです。
そして感謝の気持ちがとても低い状態にありました。
毎日「ありがとう」を3,000回唱えてみたりもしましたが、
なかなか心は楽になりませんでした。そんな昨年の4月、
木の神様を祀る「伊太祁曽神社」そして「高野山奥の院」に行った後くらいからでしょうか、
徐々に心境に変化が訪れてきたように思います。
そして、今・・・
ようやく落ち着いて参りました(笑)
幸いな事に、明日からの40代を歩む羅針盤も持ち合わせています。
(宇佐市・Hさん生家 仏壇の上に掲げられた「思無邪」の書)
昨年7月、鹿児島の尚古集成館を訪ねた際、
島津斉彬の「思無邪」(おもいよこしまなし)という座右の銘に出会いました。
そして年末、古い生家についてご相談いただいたHさん宅で再会するのです。
これこそ、現在の私が噛みしめなくてはならない言葉なのでしょう。
この詩は、冒頭の「吾十有五而志于学・・・」と同じ「論語」為政第二にあります。
********************************************
「子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、」
「子曰く、詩三百、一言以てこれを蔽(おお)う、曰く、思い邪(よこしま)無しと」
詩経は三百篇もあり、その表出するものはさまざまだ。
だが根底にあるものはただ一つである。
嘘をつかないこと(偽りのない心)である。
*********************************************