2021年 1月 08日

2020年の振り返り・2021年の抱負

カテゴリー: 日々雑感,杉の文化研究所


新年早々大雪が降りました。本年もよろしくお願いいたします。
昨年の振り返り、そして今年の抱負を表明したいと思います。

★2020年を振り返って
昨年12月、6年前に運動を始めた「伝統建築工匠の技」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
理事を務めている「日本茅葺き文化協会」が無形文化遺産の中核である保存技術認定団体になりました。
昨年は、九州北部豪雨から3年。
復興を図るうえでも、コロナVに対応するためにも、木の建築活動に専念しました。
共星の里 黒川inn美術館の「泰庵」、そして自社敷地内に建てた「方丈板倉 斎(さい)」
そうした取り組みをふまえ、NPO木の建築フォラムの『木の建築51』
「住まいは森林の樹から考える」と題する拙論を寄稿しました。
いま、昨年を振り返ってみると、杉の鎮魂に勤しんだように思えます。
●「水と空気と森林と」(木の家ネット・つくり手特集)の記事もそのひとつです。)

☆2021年の抱負
4年前、知天命の歳に九州北部豪雨に遭いました。
それからもがいて3年半。今後のテーマがはっきりしました。
「木の文化」の復興です。
その頂点にある「杉の文化」の復権にこれからを捧げます。
今年は、所属する大学院で博士論文に取り組みます。

昨年より、九州大学芸術工学研究院教授・知足美加子先生による
「被災銘木(鬼杉落枝と千本杉倒木)による英彦山下宮御神躰・不動明王制作プロジェクト」に携わっています。
昨年12月は、樹齢1200~1300年の鬼杉の枝の製材、及び英彦山千本杉を山内にて製材しました。


(写真:知足美加子)

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2020年 12月 31日

令和2年、私は何を考えたか。

カテゴリー: 日々雑感,杉の文化研究所

「方丈板倉 斎(さい)」( 写真:齋藤さだむ)

一年間の入手書籍を9年前から公開しています。
「入手」につき全て読んだ訳ではありませんが、その時々で何を考えていたか、よい記録となります。
コロナ禍の今年の入手書籍は121冊でした。
今年の一冊は『福岡伸一、西田哲学を読む―生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』池田善昭,福岡伸一でした。
西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一という難解な哲学が、福岡伸一氏の動的平衡理論で読み解けた、ような気がして感動しました。

一年を振り返ると今年は3年前の豪雨で被災した祖父の山の杉の木を用いて、
2つの建築活動、黒川復興庭園「泰庵」と「方丈板倉 斎」を行いました。
終わってみれば、創造的な一年であったように思います。
関わってくださったすべての方に感謝いたします。

令和2年 購入(入手)書籍一覧
1月 (3)
『ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球』 デヴィッド・ジョージ・ハスケル,三木 直子
『真贋』 吉本 隆明
『進士五十八の風景美学』 進士五十八

2月 (7)
『なぜ直感のほうが上手くいくのか? – 「無意識の知性」が決めている』 ゲルト ギーゲレンツァー, 小松淳子
『風土工学序説―風土とハーモニーし,風土を活かし,地域を光らす,地域づくりの技』 竹林 征三
『一休 』 水上 勉
『行動経済学の逆襲 上』リチャード・セイラ―,遠藤真美
『日本建築史 (建築学の基礎 6)』 後藤治,
『「おなかのカビ」が病気の原因だった (日本人の腸はカビだらけ)』 内山 葉子
『木造住宅の現在形 < 住宅建築 2008年 5月号(No.397)』 建築資料研究社

3月 (9)
『鼻のせいかもしれません: 親子で読む鼻と発育の意外な関係』 黄川田 徹,シンスケ, ヨシタケ
『《原爆の図》のある美術館――丸木位里、丸木俊の世界を伝える』 岡村 幸宣
『白川静文字講話〈1〉』 白川 静
『日本原初考 諏訪信仰の発生と展開』 安久井竹次郎,今井野菊,金井典美,北村皆雄,田中基,野本三吉,宮坂光昭,守矢早苗,古部族研究会
『古諏訪の祭祀と氏族 (日本原初考2)』 伊藤富雄,今井野菊,北村皆雄,田中 基,野本三吉,宮坂清通,宮坂光昭,古部族研究会
『日本原初考 古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』 今井野菊,北村皆雄,田中 基,野本三吉,宮坂光昭,古部族研究会
『免疫力アップ!呼吸にまつわるふかーい話―息育のすすめ』 今井 一彰
『アルベール・カミュ『ペスト』 2018年6月 (100分 de 名著)』 中条 省平
『ペスト』 カミュ, 宮崎嶺雄

4月(24)
『木造建築用語辞典』 一元, 小林,喜彦, 宮越,昌巳, 高橋,公啓, 宮坂
『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』 松岡 正剛
『呉越春秋 湖底の城』 宮城谷 昌光
『日本人はどのように森をつくってきたのか』 コンラッド タットマン,熊崎 実,
『白川静「文字講話」全24巻 (DVD完全収録版)』 白川 静
『ユリイカ 特集:白川静 100歳から始める漢字』
『「脳の炎症」を防げば、うつは治せる』 最上悠
『ユリイカ 特集:梅原猛 臨時増刊号 4 2019(第51巻第5号)』
『大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』 NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト
『古代豪族と大王の謎』 水谷 千秋
『謎の大王 継体天皇』 水谷 千秋
『直観を磨く 深く考える七つの技法』 田坂広志
『基礎から学ぶ 素材・建材ハンドブック (コンフォルト臨時増刊1999年2月)』

5月(13)
『食卓の向こう側〈1〉』 西日本新聞社「食くらし」取材班
『食卓の向こう側〈2〉』 西日本新聞社「食くらし」取材班
『継体天皇と朝鮮半島の謎』 水谷 千秋
『ひとさらい 笹井宏之第一歌集』 笹井 宏之,加藤 治郎
『明日が変わるとき―クリシュナムルティ最後の講話』 ジドゥ・クリシュナムルティ,小早川詔, 藤仲孝司,
『最後の日記 』 J・クリシュナムルティ
『吉野ケ里と邪馬台国 : 清張古代游記』 松本清張
『脳がよみがえる断食力』 山田豊文
『目に見えない資本主義 : 貨幣を超えた新たな経済の誕生』 田坂広志
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー
『森を守る文明・支配する文明』 安田喜憲
『森の日本文明史』 安田喜憲
『喜ばれる : 自分も周りも共に幸せ』 小林正観

6月(13)
『日本山水論』 小島烏水,隆文館,大正5
『日本の庭園』 進士五十八
『造園を読む』 進士五十八
『屋久島の山守千年の仕事』 高田 久夫
『藤森照信の茶室学―日本の極小空間の謎』 藤森照信
『樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声』 ペーター・ヴォールレーベン,長谷川圭
『福岡伸一、西田哲学を読む―生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』 池田善昭,福岡伸一
『方丈記CD3セット6枚朗読NHK』

7月(9)
『渡り腮(あご)構法の住宅のつくり方―木の構造システムと設計方法』 丹呉明恭, 山辺豊彦,
『風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」』 宮崎 駿
『薬を使わずにリウマチを治す5つのステップ ―口と足から免疫力を高めてリウマチに打ち克つ』 今井一彰

8月(5)
『センス・オブ・ワンダーを探して ~生命のささやきに耳を澄ます』 阿川 佐和子, 福岡 伸一
『情報の歴史―象形文字から人工知能まで (BOOKS IN・FORM SPECIAL)』松岡 正剛
『脳と森から学ぶ日本の未来』 稲本 正
『日本人と山の宗教 (講談社現代新書)』 菊地 大樹
『武器としての「資本論」』 白井聡

9月(3)
『創業一四〇〇年――世界最古の会社に受け継がれる一六の教え』 金剛 利隆
『孤篷のひと (角川文庫)』 葉室 麟
『泣きみそ校長と弁当の日』 竹下和男

10月(6)
『違和感の正体 (新潮新書)』 先崎 彰容
『後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)』 内村 鑑三
『木の実の文化誌 (朝日選書)』 松山利夫,
『役小角読本』 藤巻 一保
『光合成とはなにか―生命システムを支える力 (ブルーバックス)』 園池 公毅
『吉本隆明『共同幻想論』 2020年7月 (NHK100分de名著)』 先崎 彰容

11月(15)
『ルソー『エミール』 2016年6月 (100分 de 名著)』 西 研
『易と日本の祭祀―神道への一視点』 吉野 裕子
『古代天皇家「八」の暗号』 畑アカラ
『ヒトの発達の謎を解く』 明和政子
『ダライ・ラマ「死の謎」を説く―輪廻転生 生命の不可思議』 ダライラマ14世
『原説般若心経 新装改訂版』 高橋信次
『心の原点 新装改訂版』 高橋信次
『心眼を開く』 高橋信次
『心の指針』 高橋信次
『心の発見 現証篇』 高橋信次
『心の発見 科学篇』 高橋信次
『心の発見 神理篇』 高橋信次
『名文どろぼう 』 竹内 政明
『大地の心理学 : 心ある道を生きるアウェアネス』 ドン・ファン、ファインマン
『都会からはじまる新しい生き方のデザイン』 ソーヤー海、 東京アーバンパーマカルチャー

12月(14)
『もののけ〈1〉 (ものと人間の文化史)』 山内 昶
『鬼がつくった国・日本~歴史を動かしてきた「闇」の力とは~』 小松 和彦, 内藤 正敏
『鬼と日本人』 小松 和彦
『鬼の話』 折口 信夫
『目の見えない人は世界をどう見ているのか 』 伊藤 亜紗
『スマホ脳』 アンデシュ・ハンセン
『波動の法則』 足立育朗
『芸術新潮 特集【オールアバウト運慶】』 芸術新潮
『建築講座 古典に学ぶ茶室の設計』 中村 昌生
『交響曲「第九」の秘密 – 楽聖・ベートーヴェンが歌詞に隠した真実 – 』 マンフレッド・クラメス
『ベートーヴェンの生涯』 ロマン・ロラン
『日輪』 横光 利一
『リト-「サムシング・グレ-ト」に感謝して生きる』 山元加津子、村上和雄
『和室学-世界で日本にしかない空間 住総研住まい読本』 松村秀一、服部岑生

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2020年 10月 20日

方丈板倉 斎 の竣工

8月10日、山の日に上棟した「方丈板倉 斎」は、建具工事を一部残し、彼岸中日の9月22日に竣工しました。
知足美加子先生(九州大学大学院芸術工学研究院)からご恵贈いただいた
「拈華微笑(ねんげみしょう)像」を安置し完成を得ました。
この像は2017年九州北部豪雨の後、知足先生とレスキューした130年生のクスノキの流木から彫られています。

押し板は、高良山杉(280年生)です。
英彦山の鬼杉(1200年)と小石原の行者杉(大王杉600年)の葉を、稲穂の染付の花瓶に添えました。
杉葉は今回の台風10号で落枝していたものを9月21日に採取しました。

英彦山の鬼杉 推定樹齢1200年
 


 
「方丈板倉 斎」の屋根は杉皮葺きです。
真行草でいうと屋根以外は「真」。屋根だけ「草」にしたときどんな姿になるのか正直不安でした。
しかも、今回やろうとしたのは板の上に葺く現代的な杉皮葺き。真似できる屋根がありませんでした。
茅葺き職人の上村淳さん、大工の池上一則さん、茅葺き屋根の研究者で「斎」の設計者でもある安藤邦廣先生と
話し合い、試行錯誤しながら形になった時は感動しました。
 
2017.0731
この杉皮は、九州北部豪雨で被災した祖父の育てた山の木から採取したもの、
砂防ダムをつくる際の支障木となり、今年の2月から3月に伐採した木々です。
春分から秋分の間の一時期、伐った直後に山で採取すれば簡単に剥ける杉皮ですが、
今回は斎をつくろうと決めたのが5月末。
伐って3ヶ月経った丸太から採取しなければならず、皮を剥くのが大変でした。
マメで手の皮を何度もむきながら、社員の皆で辛抱強く採取してくれました。

これまで廃棄物のように取り扱っていた杉皮。
それを宝物のように慈しむように、端材のような小さな皮まで丁寧に並べる
茅葺き職人、上村さんの分厚い手には心動かされました。

最後の棟の収まりは、木に竹を接ぎ、さらに竹と竹を接ぐ、という、やってはいけないことの連続。
茅葺き職人さん、大工さん、うちの社員の皆の全員総出で丸一日かかりました。
その日の夕刻、南正面からこの棟を見たときの感動は忘れられません。

斎は四寸勾配屋根なので、GLから見ると杉皮はそれほど目立ちません。
でも、桟積み木材の上にあがって南正面から見るとボーっとしばらく眺めてしまいます。
斎は、生長した杉を使いつくす、という趣旨のもと杉皮葺きにしました。
つま先からてっぺんまで、すべて杉でできた建物です。
完成した今、祖父の育てた杉が、斎の屋根を覆ってくれていることを実感し、とても心強いです。

 

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2020年 8月 06日

「斎」の建て方の日程を変更


「方丈板倉 斎」の建て方を雨予報のため、8月9日(日)に延期します。
棟上げの後はひき続き、屋根を杉皮で葺いていきます。

おかげさまで、木の舞台は7月31日に工事完了しました。
6m四方に柱が49本もあって、一本一本長さが微妙に異なります。
貫穴が294個、楔は588本です。数だけでいえば、小さな家一件分あるのではないでしょうか(笑)
地震が起きたときは揺れながら多数の接点で減衰が起こることでしょう。
4年前の「西原習合堂」、今年3月の黒川「泰庵」は、ワークショップで建てたので、
多人数で一斉にやりましたが、今回は少人数でじっくりやろうと思います。

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2020年 7月 30日

なぜ「方丈板倉 斎」をつくるのか

梅雨明けしそうな本日より、斎の基礎部、木の舞台が着工しました。
以下は、この度なぜ私が「方丈板倉 斎(さい)」をつくるのか、その趣意書です。

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「方丈板倉 斎をつくる」
 杉岡 世邦

 2016年3月に、3年半続けた西日本新聞朝刊「住まいのモノサシ」(42回)を脱稿して以来、4年以上が過ぎた現在まで、身の回りにいろんなことが起こりました。
 同年4月に熊本地震が発生。その後は西原村で復興支援に取り組み、8畳大の庭先避難用の木造小屋をワークショップで建てました。翌2017年7月には九州北部豪雨により自らが被災。大量の流木に森林への信頼感が揺らぎ、山々を歩いたり高樹齢の流木を集めたりしながら、持ち山の将来像を再考しました。その翌年、2018年7月西日本豪雨の後は、東日本大震災で役目を終えた板倉構法の応急仮設住宅を福島県いわき市から岡山県総社市へ移築する取り組みに参画しました。翌2019年7月には母が他界しました。喪失感に慣れてきた今年(2020年)に入ると新型コロナウィルス災禍です。自粛生活も辛いものでしたが、急激な景気減退による先行きの見えない閉塞感に襲われています。

 こうしたなか今年の5月29日、ふつふつと湧いてきた思いがあります。それは、「方丈板倉 斎」を自社敷地内に建てよう、というものです。これまで木の色つや、香りを損なわない、天然乾燥と低温(40度以下)人工乾燥に取り組みながら、杉・桧の大径材を活かす手刻み主体の建物に携わってきました。しかし近年は経営環境の変化に応じられずに苦戦しており、祖父の育てた山々を積極的に継続する林業への転向を検討していました。でもこのときこう思ったのです。「何の為にこれまで勉強してきたのか。杉の良さ、日本建築の良さ、それをこの世の中に生かす為ではないのか。製材業から撤退するなら、一度勝負して、世に問うてからにしよう」

                         (「斎」完成予想図 杉岡和 作成)
 「斎」は1丈(3メートル)四方の小さな空間です。そのため基本寸法を3寸5分(105㎜)にしました。ただし細い丸太から採るのではありません。細いからこそ、杉の大径材を割って木取りした素性の良いものを用います。割り木であれば低温の乾燥でも割れや変形の少ない、香りのよい美しい材がとれます。その美しさ、力強さを大工の手刻みの技がさらに引き立てます。今の日本の山には、今回用いるような木々がふんだんにあることを広くお伝えしたいのです。
 「斎」は後人へのメッセージでもあります。割り木の適材適所が一目で分かるようにしています。外壁を300㎜ピッチ10枚で割り付けたのは、将来的に山の木々がより大径化したときを考慮してのデザインです。また、「斎」そのものは柱間に厚さ30㎜の板を落とし込む板倉構法の建物ですが、それを高さ1500㎜までかさ上げした木の舞台(伝統的な石場立て貫構造の構築物)にのせます。建設地がハザードマップで3~5m浸水と色分けされた地でもあるからです。そしてもう一つ挑戦的な取り組み、それが屋根を杉皮で葺くことです。地元の茅葺き職人と協働し、杉皮の可能性を再考したいと考えています。
 このように「斎」は、「生長した杉を丸ごと使う」を主題のひとつに据えて、それを形にすべく取り組んできました。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
今回、「斎」を建てるにあたり、鴨長明『方丈記』を読み返しました。そして気づかされたことがあります。ここ数年、私を苦しめてきた自然災害、家族の介護・死別、新型コロナウィルスなどといったこれら一切の出来事は、詰まるところは人とすみかの問題であり、また物語であると。
 私たちは「すみか」を考えるとき、まずは外部環境である自然を考慮します。猛暑や極寒などを含め四季の変化にどう折り合いをつけるか。そして、地震や台風、大雨などの猛威から身をどのように守るか知恵を絞ります。では、内部環境はどうでしょうか。このとき留意しておかねばならないのは、内部環境に暮らす私たち「人」という生命体もまた自然そのものであるということです。人体の細胞数は数十兆個あり、毎日1兆個の細胞が入れ替わるといわれています。その細胞でつくられる筋肉や神経の多くは不随意なものです。しかも身体には、細胞数の数倍もの常在微生物がいるといわれます。私たちは生きているのでなく、生かされているのです。様々な災害が頻発する今、「すみか」のあり方を再考すべき時ではないでしょうか。
 「斎」は、住宅の現代化にともない失われたものを掘り起こし、新たに構築した木の住まいです。斎という文字には「身をととのえるところ」という意味もあります。この小建築が人々を癒し、自発的治癒力を高めるような住まいの提案となることを祈っています。
 最後に。この建物を昨年7月に他界した母に捧げます。
2020-07-26

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2020年 7月 29日

方丈板倉 斎(さい)とは

この度、自社敷地内に「方丈板倉 斎」をつくります。
土用が明けた立秋の8月7日(金)に棟上げします。
なぜ「斎」をつくるのか、趣旨については頁を改めます。
以下、考案者 安藤邦廣氏による「方丈板倉 斎」の趣旨です。
ご一読いただけましたら幸いです。
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方丈板倉 斎(さい)
危機を生きのびる想像力、新たな生き方とすみか
安藤邦廣
建築家 日本板倉建築協会代表理事 筑波大学名誉教授
2020年6月5日

人類は生きのびるために大きな転機にさしかかっている
急速に拡大してきた大都市への集中から山野田園への分散が今始まる
それは密集閉鎖居住から分散開放居住への転換でもある
20世紀末から日本列島は地震、津波、噴火、台風、洪水と度重なる
災害に見舞われている
その度に人と財が大都市へ集中することの危険性は指摘されてきたが、
その拡大に歯止めがかかることはなかった
大都市への致命的な打撃とはならなかったからである
しかしながら新たな感染症の脅威は地球上のすべてに平等に降り注ぎ
むしろ大都市に容赦ない大打撃を与えた
いまこそ大都市集中に歯止めをかけ分散居住を進めるときである
その確かな第一歩として小屋、斎(さい)をつくり始める

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記より)
斎(さい)とは、ものいみ ある期間、食や外出などをつつしみ、
心身を清めることおよびそのへやの意味なり
斎(さい)は母屋を補い
あるいは働くために
あるいは楽しみのために
あるいはひきこもるために
あるいは災難から身を守るために
あるいは祈りと安らぎのために
母屋と離れてあるいは庭先にあるいは山中にあるいは海辺に建つ
その土地にあわせて容易につくれるよう
どこにでもある運ぶに軽いスギ材をもってつくり
組み立て解体自在な板倉構法となす

その大きさは方丈(3m 四方)
屋根は茅であるいは樹皮であるいは土で葺く
その姿は里山のごとし
淀みに浮かぶうたかたは
かつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし(方丈記より)

 今から800年前、平安時代の終わりの頃、京の都は地震、台風、
竜巻、大火、飢饉と度重なる災難に襲われ、400年間にわたって
繁栄した平安京はあっけなく崩壊した。その有様に無常を感じた
鴨長明は京都南部の日野山中に閑居隠棲して方丈記を記した。
その閑居が一丈四方であったことにその書名の由来がある。
自ら作事したこの小さなすみかに、長明の無常観と生き様が見事に
表されている。
 それから400年後の戦国時代、再び動乱の世の到来で、千利休は
四畳半、小間の草庵茶室を考案し、戦乱で荒廃した社会と人の心に
救いと安らぎを求めた。その草庵茶室は数寄屋造りとしてその後の
日本家屋の原型となった。
 それからさらに400年が過ぎ、ふたたび大地震と大津波、台風と
洪水と度重なる災害に加えて新たな感染症の脅威にさらされている。
今こそ我々はこれらの先人の知恵に学び、新たな生き方とすみかを
想像しなければならない。
 方丈板倉斎(さい)はその小さな一歩であるが、大きな危機を生き
のびる想像力を呼びさますであろう。

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2020年 4月 14日

泰庵の木材

泰庵の木材は九州北部豪雨の被災地、朝倉市杷木松末(はきますえ)の杉です。
流木ではありません。被災したため伐らねばならなかった「被災木」です。
流木を堰き止め立っていたのに、流木と共に片付けられたもの、
または、砂防ダム建設のために支障木となったものたちです。
杷木松末の土師山(2017.0731)
  
流木利用については、災害直後に製材を試みましたが、かなり難しいことがわかりました。
流木集積場にて長大なものを選び出し、3人で2時間かけて得た丸太は長さ2~3mの10本程でした。(※1)
 流木集積場(2017.0722)
 流木集積場(2017.0726)

木口に割れ
(※1)
しかも一見、傷みの少ない丸太でも、必ず割れ目や裂け目があって、砂(硬い花崗岩の粒子)が入りこんでいます。
丸太の表面や切り口をきれいに洗って製材したところ、帯鋸を通すたびに火花が出ました。
鋸を傷めるだけでなく、火事になる危険性を感じました。
それで、泰庵の建築にあたっては、泥水に浸かっていない(流木でない)被災木を用いています。
被災木は、山の地形が変わり搬出するのは大変ですが、木そのものの傷みはほぼありません。
柱などに、太くて立派な丸太からとった木材が使えているのはそのためです。
 
かつての土師山(2008.1216、写真:佐々木光)
被災した杷木松末の山は、130年、100年、60年生の杉、ヒノキが生えています。
子どもの頃、祖父と一緒に山へ行くと、最も大きな木に二人で巻き尺を回して測りました。
「どれくらい太っちょるかい?」
「〇尺〇寸!」
「おまえが俺ん歳になりゃあ、こん木もえらいもんになっちょろう…」
山好きの祖父は90歳まで山に入り、16年前に93歳で他界しました。
以来、毎年命日になると、尺を回した思い出の杉の大木に酒をかけ手を合わせていました。
ところが今回の豪雨で、その木は流されてしまいます。
喪失感に襲われるとともに、うちの木が危害を加えたかもしれないとの罪悪感を感じました。
 
 
***********************
「なぜ杉なのか」。
連載中、何度もこの質問を自分に投げかけながら、根底には、祖父の眼差しがあることに気づかされました。
この世を去った後の山の姿に思いをはせつつ、木々を見上げる祖父の仕草。
それが脳裏に焼きついているからこそ、花粉症や土砂崩れなどで杉人工林が悪者扱いされるたび、
悔しさがこみ上げてくるのです。本当に杉は厄介者なのか、と。
(西日本新聞「木挽棟梁のモノサシ」2010年3月14日『継承~山の姿に思いはせ』より抜粋)
***********************
10年前、西日本新聞にこんな文章を寄稿していた私が、杉に対しネガティブになってしまった、
それくらい今回の豪雨水害は衝撃的な出来事でした。
「杉の人工林は悪者なのか」。
この問いに「スギ問題」と名づけ、山を歩いたり話を聞したりしながら再考しました。
人工林について、現在、私は次のように考えています。
 
「将来も永続的に適度な面積の人工林を適切に管理しながら維持するべきである。
 そのためには森林資源を積極的に循環利用することが必要だ。
 永続可能な人工林のデザインと、森林資源の活用デザインとが一体になることが望ましい」。
 
こう思い至ったとき、被災した山と木にポジティブに向き合うことが、今の私には必要だと気づきました。
残された山を今後どのようにデザインし、継承していくか。
そこから発生した被災木を、どうのように活かしていくか。
 
泰庵は、すべて杉でできています。
泰庵が建つ朝倉市黒川は、杉人工林の斜面崩壊が大きかった地域です。
その地へ、流木被害の大きかった杷木松末の杉を使って東屋を建てる。
この行為が、受難した木のいのちを未来にむかう力として再生させるものだと信じたいです。
 

 
九州大学芸術工学部の学生たちが、流木を堰き止めた被災木の泥をきれいに落としてくれました(2017.10月)。
この木々が、泰庵の屋根を覆っています。

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2020年 3月 17日

泰庵の屋根


泰庵は、屋根に特徴があります。
垂木(たるき)を用いていないこと、木がむき出しの板葺き屋根であることです。
この建物は、鎮魂と人の集まる場の創造を目的としています。
復興支援の一環であり、2日間のワークショップのみで完工せねばなりません。予算も限られます。
そこで、これ以上引き算できない最小限の部材で美しい木造をつくる、ことを目指しました。
 

垂木を用いない代わりに、杉の厚板を3層重ねることで屋根を構成しました。
30㎜厚の杉板を2層重ね、3層目の板の継ぎ目に20㎜厚の目板を打って押さえています。
1層目と2層目の間にはルーフィングを入れ、雨漏りを防ぐとともに、1層目の板が傷まないようにしました。
パッと見は、四角い板を横に並べただけのように見えます。
しかし実際は、横に溝を彫って、雇実(やといざね)という細い木を溝に入れて、板をつないでいます。
正面から見たとき、単に板を横に並べたように見せるため、溝は軒先から40㎜手前で止めました。

板の木取りは、柱と同じように、丸太のどこから取ったかが分かるようにしています。
木には、幹の外周に白太(しらた)と呼ばれるところと、内側に赤身(あかみ)と呼ばれるところがあります。
樹木は、若木の時はほとんどが白太です。白太は水分(養分)移動が容易な細胞構造になっています。
それが生長し徐々に太くなると、芯のほうから赤身へと変身していきます。
赤身は、水の通路を塞ぐ細胞構造となり、微生物や生き物が嫌いな成分を貯蔵します。
それは生命を維持するためで、樹皮が剥げたときに腐朽菌や昆虫などの侵入を白太で食い止めるのです。

 

1層目の板は、丸太の一番外側からとれる側取りの板を用いました。
側取りの板は、節が少なく白太の多い比較的きれいな板目が表面になります。裏面は腐れにくい赤身です。
屋根の2層目と3層目の板は、側取り板より芯に近い部分でとります。総赤身材です。
赤身材はきれいで耐久性も高いですが、節が多いという欠点があります。
なぜ節が欠点かというと、穴の抜けた死節(しにぶし)が多くあるからです。
そこで今回は、節はあっても穴の抜けないものを選別して用いました。


 
板は「木」偏に「反」ると書くように、みな自然な反りがあります。
その反りを活かすため、板を張る際には「向き」を工夫します。表と裏、元と末です。
外周に近い面を「木表」(きおもて)、芯に近い面を「木裏」(きうら)と呼びます。
板は、木表面が、幅方向も長さ方向もともに凹に反ります。
この屋根は、3層とも木表面を下に向けて張りました。

向きに関しては、元と末の工夫も必要です。
樹木の根元に近いほうを元口(もとくち)、梢に近いほうを末口(すえくち)と呼びます。
1層目は、元口を下、末口を上へ向けて、樹木同様の向きで張っています。
しかし、2層目の板と3層目の目板については、元口が上、末口が下の逆向きに張りました。
木がむき出しの板葺き屋根だからです。
杉板の木裏面は、陽に当たり続けると、木目が剥がれたようになることがあります。
元口を下向き張ると、剥がれ目に水が溜まって、傷みやすくなるのです。
木は、濡れると腐れると言われますが、正確には、乾かないと腐れるが正解です。
なるべく速やかに乾くように工夫することが、長持ちさせるうえで重要なのです。
 

 
このような法則で板を張っていったとき、面白いことが起こりました。
屋根全体がきれいなムクリ屋根になったのです。
板の反り具合は一枚毎に違いますが、片屋根30枚の板を3層とも
同じ向きに張り合わることによって、優しい落着いた曲線が生まれました。
棟木と桁の2点しか釘止めできないことも、その曲線に寄与していると思います。


 
こうして、軽くて伸びやかな美しい屋根ができました。
ただ、喜んでいられるのは今のうち、かもしれません。
木がむき出しの板葺き屋根は、木材にとって最も過酷な環境に置かれるからです。
木材は濡れると膨張、乾くと収縮、をくり返します。紫外線も浴び続けます。
真夏の日照りが続いたとき表面温度は70℃くらいになります。
一方、冬には霜がおりたり凍ったりします。-40℃程の冷放射にもさらされます。
その変化の中で、割れたり、腐れたり、苔が生えたり、と劣化していくのです。
つまり、強くはない。
でも私は、その弱さもまた、この建物の強みだと思っています。
木の力だけで自然の劣化にどこまで耐え得るか、実験という役割を担っているのです。
あの建物、今は大丈夫かな? といろんな人に気にかけてもらえる建物になるかもしれません。
弱きがゆえに愛される、そんな存在もあってよいのではないでしょうか。
私自身、離れて暮らしていますが、いつも泰庵はどうなっているか気になっています。 
釘の錆垂れができるころがたのしみです。

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2020年 3月 14日

泰庵の柱

西側  東側

黒川は、英彦山との関係が深い「黒川院」のあった地です。
そこで「泰庵」は、英彦山に所縁が深く地域で権現さんと親しまれる「岩屋権現」を仰ぐように、
またその対面を、旧黒川小学校のシンボルツリーであるイチョウの木が見られるように配置しました。

  

柱は掘立柱(ほったてばしら)です。穴を掘って柱を立て、回りを突き固める太古からの方法です。
民家建築では18世紀頃まで主流でしたが、近世後期になると庶民の家も礎石立ちとなり姿を消していきました。
今は御柱祭など祭礼で用いられるくらいでしょうか。(長野県諏訪大社の御柱祭は有名)
腐朽やシロアリなど、耐久性の面で心配があるので、それは自然なことだと思います。
それでも今回、掘立柱にしたのは、鎮魂という要素を重視したことによります。
柱の穴は、10日程前に80㎝手掘りして、その上にコンクリートを10㎝流し込み水平をとりました。
実際には三和土(たたき)でさらに20㎝盛り土するので、柱は90㎝地中に埋まることになります。
もともとグランドで砕石層もあって地盤が固く、穴を4カ所掘るのに丸一日かかりました。
 
 
 
柱寸法は5寸(約150㎜)で、写真のように1本の大きな木から4本とっています。
直径50センチ超の120~130年生の原木です。これだけ大きな木からとった理由は掘立柱だからです。
柱は、通常の芯持ちだと割れるので、割れないよう芯をさけて4本取りにします。
また、地中に埋まるところが腐りにくい赤身材にするために、これくらいの直径を要しました。
写真のままの向きで、上2本を西のイチョウの木側に、下2本を東の権現さん側に配置しています。
 
 
 
最後に、柱脚を固める際に付いたと思われる泥や三和土(たたき)の汚れに気づきました。
三和土(たたき)は、粘土と石灰とにがりを練ってつくります。
この石灰が、杉の赤身部分に付くと黒変してしまうので、水拭きするとかえってよくありません。
棟梁の池上さんは、養生しておけば良かったかな、と立っている柱を手鉋で仕上げ始めました。
でもその表情には笑みがありました。少々汚れても皆で木を触れて建てたいと思っていたのかもしれません。
垂直に鉋をかける姿はあまり見ないので、思わず写真をとりました。
  

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2020年 3月 13日

黒川「復興ガーデン」をなぜつくることになったか

「泰庵」写真①

「泰庵」は、朝倉市の共星の里 黒川INN 美術館、旧黒川小学校のグランドにあります。
共星の里と九州大学ソーシャルアートラボによる「復興ガーデン」の一部です。
2017年九州北部豪雨が起こった3週間後の7月26日、九州大学の知足先生とこの地を訪ねました。
グランドには大量の土砂、巨大な岩々、流木などが流れ込み、地形が変化していました。
そんな状況下で、共星の里の柳さんは「押し寄せた流木や岩をアートに変えたい」と熱く語っていました。
このとき、「復興の庭」をつくるというイメージが共有された、それが始まりであったと思います。
以下(「」内)、当時の思い、この庭のコンセプトについて知足先生のブログより抜粋します。

写真②
 
「豪雨被災地の土砂の前で茫然としたあの日から、
 「いつかここが命を思う美しい場として再生する」と、心に描いてきました。
 アートは、自然からの呼びかけから生まれることが多く、
 その究極の形は「ガーデン」ではないかと思います。
 日々変化する自然界と人間の心が調和する場を共創し、
 自然と人間、人間同士のつながりを紡ぎ続けるからです」(福岡エルフの木より

 (泰庵が建つ前)写真③

2018年は、枡野俊明先生による「禅の庭の根本概念」の講義の後に、皆でコンセプト・ワークを行いました。
そして翌2019年9月から、「復興ガーデン」の現実化に向けてのワークが重ねられてきました。
 
「朝倉市黒川地区住民は、災害後、100世帯から20世帯に激減しています。
 私は、離村者の一時的な帰村経験を担保し、
 また地域外からの「関係人口」を増やす場づくりの必要性を感じていました。
 強制的ではなく、そこにある美しさ、喜ばしさに浸るために立ち寄りたくなる場。
 地域外からの意識継続のために、関心をつなぎとめる何らかの仕組み。
 それらを実現するあの日のビジョンが、「アートとしての庭の共創」だったのです」(福岡エルフの木より

 写真④

「泰庵」建築の作業の後には、筑後川の河口から汲んできた海水でお祓いをしました。
多くの土砂や流木とともに、様々なものが流れた筑後川、流れ込んだ有明海。その河口を今回初めて見ました。
最後に、この地にかかわる方々の安寧、弥栄を皆でお祈りしました。

 筑後川河口

写真①③④長野聡史 ②知足美加子

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