2018年 3月 14日

流木レスキュー 備忘録②


3月14日、以前より気になっていた流木をレスキューしに行きました。
なぜその木が気になったのか。
祖父との思い出の木ではないかと思ったからです。

朝倉豪雨で大きな被害を受けた松末(ますえ)地区には、
14年前他界した祖父が大事にしていた山がありました。
山に入ると、谷に立つひときわ大きな杉の木に尺をまわして、
「昭和〇年〇月〇日、〇尺〇寸」と皮を少しだけ削って、幹に墨書していました。
ところが今回の水害でその木は流されてしまいました。
山の周辺を探しましたが見当たらず、あきらめざるをえませんでした。


 
ある日のこと、筑後川の堤防道沿いを車で通っていると、
積み上げられた流木群があって、そのなかに、ハッとする一本を見つけました。
慌てて車を停め、しばらくの間、その年輪を見つめました。
この木は祖父との思い出の木ではないだろうか。
たとえそうでなくとも、あの木とみなそう。そう思いました。
以来、その道を通るたびに、その木と目が合って仕方ありませんでした。


   

 
二日前の3月12日(土木用試験材をレスキューした日)は祖父の命日です。
毎年この日は松末の山に行き、思い出の木に酒をかけお参りをしていました。
「その時のエピソードを書いた記事~継承・山の姿に思いはせ」
https://sugiokatoshikuni.com/?page_id=1252#15
しかし今年は、この木をレスキューした3月14日に山へ行きました。
谷はきれいに片づけられ、仮設の防災ネットが張られていました。
 

被災直後に入ったときは、倒れても流されずその場に踏ん張った杉の木々を見ました。
二次災害を防ぐためには、流木を堰き止め立ってていた木々も、一緒に切って片付けねばなりません。
そこで、立っていた木々のみ、うちの土場に運んできました。
 

こうして土場に運ばれてきた松末の木々と、この日レスキューしてきた木々を、
一緒に積んだのが下の写真です。8か月ぶりの再会を果せたのかもしれませんね。
この木の大きな根っこも積み込めたので運んできました。
こんなに根が張っていても流されるのだ、ということを教えてくれます。
(流木利用については国土交通省九州地方整備局の承認を得ています)
 

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